[女性運動・男女共同参画運動の新展開]

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【「婦人」から「女性」へ】
 昭和四十年代半ばに始まったウーマン・リブ(女性解放)運動は、従来の婦人解放運動とは異なる新しい女性解放運動であった。この新しい運動が提案した「婦人」から「女性」への名称の変更は、「夫婦」関係に規定される女性のイメージがある「婦人」ではなく、女性と男性の社会的文化的な性差(ジェンダー)を踏まえた性差別撤廃に向けた鋭い問題提起を意味していた。浜松市でも第三章で述べたように浜松婦人懇話会やソナティ・エイトの活動のように行政を巻き込んだ市・県の枠を越えた国際的な取り組みや起業に挑戦する女性の積極的な試みが見られるようになってきていた。
 
【浜松市婦人行動計画】
 そこで、市は平成二年に「浜松市婦人行動計画(浜松市いきいき女性プラン 新しい男女の共同社会をめざして)」(計画期間平成三年度~十二年度)を策定した。この行動計画では男女の役割を固定的に捉える意識の是正が不可欠とし、そのための教育を幼児期から行うことや女性が参加しやすい条件整備や技術・家庭科の男女共修の推進等が書かれ推進された(なお、中学校家庭科の男女共修は平成五年度から全国実施された)。平成三年にはそれまで社会教育課内にあった婦人室を女性施策課とし、併せて女性プランの民間推進機関として、浜松市女性行動計画推進協議会を設置し、この女性プランに基づいて、市は女性行政を総合的かつ計画的に推進した。
 
【男女共同参画 浜松市男女共同参画計画】
 平成七年には、この行動計画の修正についての策定委員会がつくられ、公聴会では男女共同参画に向けて女性自身の性差別意識をどう克服していくかという視点の導入などの意見も出された(『静岡新聞』同年十月二十六日付)。市は同年、「婦人」を「女性」に、「参加」を「参画」に改め、男性の意識改革の視点を取り入れ、前述の婦人行動計画を女性行動計画と名称も改めるなどの改定を行った。国も平成十一年六月に男女共同参画社会基本法を制定したことも踏まえ、市は同十二年には女性施策課を男女共同参画室と改称し、翌年には市は浜松市男女共同参画計画を策定した(『新編史料編六』 七社会 史料86)。