浜松市での男女共同参画の運動を推進したのが日本女性会議はままつの開催であった。そこに至るまでの歩みを記してみよう。
【はままつ女性会議】
昭和五十年の国際婦人年とそれに続く国連婦人の十年を記念して、各都市が連携して日本の女性問題に取り組もうと日本女性会議がつくられ、昭和五十九年に名古屋市で第一回の大会が開催された。浜松でも日本女性会議への参加をはじめ、自主講座の開催や情報誌の発行を目指して平成五年十二月にはままつ女性会議が発足し、翌年四月十日に第一回総会を開いた(『静岡新聞』平成六年四月十一日付)。同会議のメンバーは平成七年、北京で開催された第四回世界女性会議にも参加している。
これまでにも市内の女性たちの自主的な活動は、女性経営者やキャリアウーマンを中心に昭和六十年に結成された浜松女性ビジネス交流会、また女性の経営者や芸術家、ジャーナリストを中心に平成元年に結成された浜松・女性まちフォーラムによる中心市街地の街づくりへの積極的な提言も含め、多彩に展開されつつあった。
【浜松市婦人連盟】
また、市内には本の読み聞かせや育児支援など、それぞれのテーマを基にした女性団体が続々と誕生していた。そこで平成六年、市は市内の女性団体を地域ごとにネットワーク化する女性団体育成推進員を募集することになった。当時、市に登録されていた三百二十三の女性団体の約四分の三は個々の地域の住民がメンバーとなって活動していたが、各団体の横のつながりは薄かった。そこで、市の女性施策課は、各団体が仲間意識を高め、地域活動の幅を広げる組織化を推進するため、市内の二十八の公民館ごとに一人ずつの推進員を配置し、女性団体連絡協議会の組織化を支援することにした(『静岡新聞』平成六年四月十四日付)。このような中、平成五年五月には、これまで地域自治会を基盤とする地域婦人会を組織していた浜松市婦人連盟は解散となった(『手をとりあって 浜松市婦人連盟史』平成六年六月刊)。
【日本女性会議'99はままつ '99はままつアピール】
平成十年七月、市民の有志百二十九名が「二十一世紀にふさわしい日本女性会議'99はままつ」を創ろうと実行委員会(龍口伸子委員長)を結成、また多くの協力団体、協力員などの協力を得て、平成十一年十月一日・二日に日本女性会議'99はままつをアクトシティ浜松で開催した。男女共同参画社会基本法が成立した記念すべき年に全国から三千三百人が参集、これは浜松市の男女共同参画運動にも大きな影響を及ぼすことになった。会議は基調講演の後、八つの分科会(労働、教育、人権、高齢社会、少子化、まちづくり、国際化、環境)に分かれて熱心に討議し、最終日に「'99はままつアピール」を出した。アピールには「男女の固定的性別役割観にとらわれず、あらゆる分野において共に参画する社会」、「生き方の多様性を認め、人々が自己実現をめざし、仕事と育児・介護が両立できる社会」、「人権を尊重する教育を推進し、ジェンダー・バイアス・フリー(社会的・文化的性差の偏りをなくすこと)の実現」、「新しい国際社会の中で多様な文化や価値観を尊重しあう社会」、「地球環境の悪化の現状を認識し、自然と共生する循環型の社会」を実現しようと呼び掛けた(『新編史料編六』 七社会 史料84)。