【男女共同参画運動】
これまで女性による差別撤廃運動と考えられがちな女性運動が、男性や社会全体の意識改革に取り組む運動に全国的に発展しつつあった。この男女共同参画運動の推進者は女性だけでなく男性も含まれていた。この運動が最も厳しく是正を要求したのは「'99はままつアピール」にあった男女の固定的性別役割観であった。男は外で仕事、女は家事労働や子育て、さらに介護をするという性別役割を固定的に考える考え方であった。
昭和六十三年八月に市が実施した「浜松市婦人の意識調査」によると、夫婦共同での子供のしつけをするのが良いと思うが六十六%であったが、父親の家事手伝いの状況では、子供の世話は十%であり、全くしないが三十二%もあった(『浜松いきいき女性プラン』)。
平成十年秋、はままつ女性会議は、「子育てをめぐるジェンダー調査」を実施し、百二十五人の女性(二十代~六十歳以上。既婚九十九人、未婚二十五人。子供がいる九十九人、子供がいない二十五人。フルタイム労働の正社員五十九人、パートタイム労働二十人、主婦三十二人、その他十二人、無回答二人。)から回答を得た。この調査では、子育ては母親任せにせず、父親もやるべきだと思うは百二十人であった。また、子育てのために男性が育児休暇を取るのはおかしいという問いに、そう思わないが百九人であった。さらに、子育ても大切だが、母親の自己実現も同じくらい大切だという問いについては、そう思うは百六人であった。しかし、子供が小さいうちは母親は、外で働かず、手元で育てるべきだは三十一人であった。また、仕事と育児の両立が難しいときは仕事をやめるべきだという問いには、そう思うが四十二人、そう思わないが五十四人、どちらとも言えないが二十九人であった(はままつ女性会議『ジェンダーフリーでラクラク子育て』平成十一年三月発行)。これらの二つの女性の意識調査では意識の上ではジェンダーフリー(性差別の解消)が進んできたが、具体的な場面では、ジェンダーバイアス(性差別)がまだまだ消えない状況がうかがえた。
そこで、ジェンダーバイアスの解消に向け最も直接的な方法は、男性が自らの家庭で家事労働や子育て、介護を行うことであった。そのためには、外で働いている男性がこれらに参加できるように法制度を整備することが必要であった。
【男性の育児休業】
教員、看護婦、保母などを対象とする育児休業法は昭和五十一年に施行されていたが、民間企業の労働者も対象に実施されるようになったのは、平成四年からであった。法律の内容は労働者が一歳未満の子を養育するため、一年未満の休暇を申し出ることができ、事業主は育児休業の申し出を拒めず、育児休業を理由とする解雇は禁止と定められた。平成七年には法律の改正で三十人以下の事業所にも適用となり、全ての労働者の権利となった。この法令の成立には出生率低下の影響が大きかったと言える。この法令の重要な点は、男性にも育児休業の権利を保障したことであった。
法律の施行後は男性の育児休業者が出始めていたが、教員の場合も同様であった。平成十年一月から二月にかけて市内の中学校教諭の野島恭一は妻に引き続き育児休業を取得した。県教職員組合浜松支部は同年二月の大会議案書に「本年度、浜松支部より県下で初の男性教員による育児休業取得者が誕生したことは、男女平等への大きな第一歩を踏み出したと歓迎するものである」と記述した(『静岡県教職員組合浜松支部第103回定期大会議案書』 平成十年二月)。野島に対し「法律上認められているから反対はしないけど、応援はしない」と面と向かって言った人もおり、両親も最初は抵抗していた(『ジェンダーフリーでラクラク子育て』)。野島は、「現在は『女性の自立』は大きく進んだ。しかし、『男性の自立』はどうか。社会責任だけでなく家庭責任を果たし身辺自立ができる男性の少なさはどうだろう。」(「『迷路』を受け継ぐ」『平成十四年度(第十五回)野上弥生子賞読書感想文全国コンクール記念号 入賞作品集』平成十五年二月 大分県・岩波書店)と述べ、野島にとって育児休暇取得は「男性の自立」に向けての実践的問題提起であった。このように男性の育児休業取得の件数は少数ながらも、企業や官公庁でも行われるようになっていった。
【父親の育児参加】
平成十二年、市児童保育課は父親の育児参加を促すために、おむつの替え方やミルクの飲ませ方などを分かりやすく説明した『おとうさんのための育児ガイド』を作成した。男女共同参画をより具体化するための行政の取り組みであった(『静岡新聞』平成十二年六月二十八日付)。また平成十三年、NPO法人「ひらがなくらぶ」は乳幼児との触れ合いを通じ中学生に子育ての楽しさを知ってもらおうと「中学生子育て体験」を篠原中学校で開き、中学生は妊婦体験や乳幼児の世話に挑戦した(『静岡新聞』平成十三年十二月五日付)。子育て中の母親のグループが子供たちに子育ての楽しさや喜びを伝える試みは効果的な少子化対策の一つとして、その後、各地で様々な団体によって展開されていった。