[遠州精神保健福祉をすすめる市民の会]

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【遠州精神保健福祉をすすめる市民の会】
 統合失調症、精神作用物質による急性中毒、またはその依存症、知的障害、精神病質、その他の精神疾患を有する精神障害者は、日本では精神病院などに入院し、その期間も長期化することが多かった。しかし、病状としては退院が可能な状況にある者も多くいた。ところが、精神障害者の社会復帰は、長期入院に伴う障害者本人の社会への適応力の低下や家族の受け入れ体制、地域社会の偏見などの問題があって、なかなか進まないでいた。このような中、精神障害者を取り巻く状況を打開すべく立ち上がった人々の中に大場義貴がいた。大場は平成五年に浜北市に開設された児童、思春期・青年期を主な対象とする精神科診療所メンタルクリニック・ダダの立ち上げ時のスタッフの一人で、個別相談や精神科のデイケアを担当していた。大場は医療機関や施設の職員、精神障害者の家族などと情報交換をする中で、誰もが住みやすい地域づくりを目指す市民参加型の組織をつくることを思い立った。地域の約二十五の団体(精神病院、企業、福祉団体、家族会、作業所、救護施設など)と約二百四十名の一般会員の協力者を得て、平成九年十二月に曳馬二丁目に遠州精神保健福祉をすすめる市民の会〔E‒JAN(Ensyu-Joyful-Action-Network)〕を設立した。この会の目的は、心の病を持つ人や、その他の障害を持つ人に対して、その社会復帰や社会参加の支援に関する事業を行い、ノーマライゼーション社会の実現に寄与することであった。ノーマライゼーションとは障害や障害者を特別なものとして捉えるのではなく、障害のある者とない者とが共に生きる社会を普通の社会と捉える考え方である。平成十四年にはNPO法人格を取得し、定期交流会、メンバーとボランティアで運営するサロン活動、理解啓発活動(地域交流会、運動会、コンサート、絵画展、講演会、体験発表会等)、ボランティア養成、施設見学ツアー、職場のメンタルヘルス相談、ボランティア部によるバザー活動、自主制作ビデオ作成、会報発行、ホームページによる情報発信等を行った。なお、大場は地域の精神障害者支援に関わる諸分野のネットワーク作りをすすめるE‒JANを立ち上げた翌年の平成十年、三幸町に「援護寮(精神障害者生活訓練施設)、精神障害者地域生活支援センターだんだん」を開設した。精神障害者の生活訓練施設、地域生活支援センターとしてはそれぞれ県下で二番目と一番目であった。メンタルクリニック・ダダや近隣の聖隷三方原病院等と連携しつつも、特定の医療機関に付属するのではなく、地域の十以上の医療機関から利用者が通ってくる地域にオープンな施設として就労につながる支援を展開していた(大場義貴「精神障害者の社会復帰における連携」、『心理臨床実践における連携のコツ』平成十六年発行)。
 
【明生会】
 ところで、精神障害者の福祉事業がまだ法的に認められていなかった昭和五十三年頃、精神障害者の家族らでつくる明生会(昭和四十七年に発足)は独自に作業所としての活動を始めていた。同五十六年には明生共同作業所を開設、ガスメーターの解体作業などを始めた。この頃は行政の補助を受けず、細々と活動を続けてきたが、平成八年頃から本格的な精神障害者の共同作業所をつくるべく運動を進めた結果、先述のE‒JANなどが理解を示し、一気に運動が広がり、市の補助を受けて平成十二年四月に西浅田一丁目につばめ創社が開設された。同社には十五人のメンバーが通い、菓子箱の箱折り作業や自動車部品の加工作業を行っている。また、平成十四年六月、天竜川町に精神障害者の就労支援を行う民間センター「生活館なかなか」が開設された。知的障害者の親でつくる浜松市手をつなぐ育成会などとも連携し、障害の種別を超えた相談体制も整えていった。生活館なかなかは医療法人社団至空会が運営するものだが、だんだんのサテライト施設として位置付けられていた(『静岡新聞』平成十二年五月二十一日、同十四年六月二十日付)。
 平成十六年に厚労省は精神保健医療福祉改革ビジョンを発表し、入院医療中心から地域生活中心へという基本的な方策により、社会的入院者を十年間で約七万人退院させるという方針を打ち出した。同年、精神障害者退院促進支援事業として国庫補助事業として予算化され、静岡県では浜松市を中心とした西部地区がモデル地域として指定され、E‒JANのネットワークも活用されるようになった(大場義貴「地域づくりの観点から」、『臨床心理学』第九巻第五号 平成二十一年発行)。