【浜松まつり】
浜松まつりの参加町数は平成二年から同十六年までに、凧揚げでは百三十六から百六十九に、御殿屋台引き回しでは、六十五から八十一にそれぞれ増加していった。しかし、浜松まつりへの観客動員数は平成四、五年には二百五、六十万人であったものが、平成十年代に入ると百数十万人に減り、平成十四年、市は浜松まつり報告書で参加町数の増加にもかかわらず、会場の人出が減っていった原因として、天候不順だけではなく、市内外の観光客の凧離れにあるとした。
浜松秋まつりの阿波踊りの参加者も、平成十一年には激減していた。ピーク時の昭和六十二年には二千二百人いた踊り手が、この年の秋祭りには約五百人が参加するのみとなった。市内企業が不景気でごそっと抜けたからであった(『静岡新聞』平成十一年九月十四日付)。バブル崩壊後の長い不況の影響で企業従業員の参加が減り、不況下で浜松まつりへの観光客も減っていったと考えられる。
しかし、バブル景気の頃急増した浜松まつりへの参加町数は、不景気になってもほとんど減らず、逆に徐々に増えていった。中でも、御殿屋台の引き回しへの参加は、屋台の新築等で多くの経費が必要となり、不景気の中、財政負担やまつりの準備や運営に困難な状況下にあったにもかかわらず増えていったのである。これは、核家族化の進展の中で、地域の連帯が薄れつつある時代にとって、自治会の結束や地域コミュニティーの意識的な編成は不可欠との考え方が出てきたことによるものであろう。浜松まつりを通して地域の活動への意識的な参加が徐々に進みつつあったことがうかがえよう。