[浜松まつりへの高校生の正式参加]

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【高校生の参加問題】
 長年の懸案であった浜松まつりへの高校生の参加問題は、平成四年十月、自治会関係者と西遠地区高等学校の校長会との合意により、参加が正式決定されるに至った。戦後、浜松まつりには、高校生の参加は禁止されていたが不徹底であった。昭和三十六年にはまつりの期間中に少年犯罪が目立ったため、同三十七年のまつりから高校生の参加禁止が徹底されることになった(『静岡新聞』昭和三十七年四月十八日付)。昭和三十年代半ばの市内の高校進学率は約半数であったが、経済の高度成長期に市内の高校進学率は急上昇を遂げ、昭和四十年代半ばには約八割となり、昭和六十年には、約九十五%に達していた。浜松まつりという地元にとって重要な伝統文化の継承者を育てていくためには、高校時代の三年間のブランクは大きな問題となってきていた。
 
【浜松まつり参加自治会連合会 高校生の参加決定】
 そこで、まつりに参加する自治会は平成三年八月に浜松まつり参加自治会連合会を設立し、十月から高校生の祭典参加問題の検討を開始し、西遠地区の校長会との折衝も重ねてきていた。高校側では非行や事故の発生を懸念していたが、平成三年五月、県教委は県内の各校に「祭典参加の見直し」を通達した。西遠地区Aブロック校長会も前向きに検討する姿勢を見せていたが、女子高など一部に根強い慎重論があって、参加問題は難航していた。しかし、浜松まつり参加自治会連合会と校長会との折衝では、事故が起こった場合の受け皿となる自治会への指導や補導、生徒指導の励行、違反があったときの罰則の細目等を盛り込んだ合意事項を生み出すまでになり、反対していた高校も前向きに検討するようになっていった。同校長会は平成四年十月二十八日、県教委に庄田武教育長を訪れ、高校生の浜松まつりへの参加を了承したことを報告した。同月三十日、これまで高校生の参加問題を検討してきた浜松まつり参加自治会連合会、西遠地区Aブロック校長会、浜松まつり本部などで組織する祭典参加のための条件整備準備委員会(委員長・黒川虎夫まつり本部総務部長)は、高校生の参加を認めることを正式に決め、黒川委員長と校長会代表らは記者会見を開いた。同委員会は、伝統文化の継承と地域活動への参加という観点から、①参加町内の在住者に限定、参加日時は祭典が行われる三日間の午前九時から午後九時まで、②学校側の許可を得た上で高校生独自のワッペンを身に付ける、③飲酒・喫煙など非行が発生しやすい場所での指導を徹底するとした。また、高校生による事件・事故が発生した場合には自治会が翌年の参加を自粛し、問題行動が多発した場合には高校生の参加を再度協議するとした。会見で、黒川委員長は「地域、PTA、学校などが『参加させてよかった』と思うような祭典にしていきたい」と語った(『静岡新聞』平成四年十月三十日・三十一日付)。
 参加する各町内・各校の高校生には凧揚げや屋台の由来などの歴史や凧揚げの技術伝承、さらに参加規則の徹底を図るため、市民会館で研修会が開催され各人が地域貢献の役目を担っていることを自覚させた(『静岡新聞』平成五年四月二十六日付)。高校生の参加が解禁となった平成五年五月の凧揚げ会場で、寺脇町は「高校生監督」というタスキを掛けた高校生が町内の中・高校生をまとめていた。また、西山町では男子に交って女子高生も張り切って参加していた。このように規則を守り、各町内での役割を与えられた高校生約三千人がトラブルなく参加し、まつり後継者として育っていく道筋が出来た(『静岡新聞』平成五年五月四日・七日付)。