【新銭湯】
住宅に浴室が付くようになり、各地にあった銭湯の多くは廃業に追い込まれていった。しかし、健康ブームの到来で、各地に新銭湯が続々と生まれた。このブームの始まりは昭和六十年に菅原町に出来たバーデンバーデンと昭和六十二年に天王町に出来たハッピー浜松健康ランドであった。共通点は工場の遊休地を利用して造ったものである。平成九年には松島町に遠州浜天然温泉八扇乃湯と三島町のミシマの泉が出来た。この後、市内にはスーパー銭湯が続々と誕生した。健康志向だけでなく生活水準の向上と余暇の拡大が乱立の背景にあったと言える。手軽に温泉旅行の気分が味わえ、美肌効果もあり、屋外でのビアガーデンや歌謡ショーなど工夫を凝らして競い合っていた(『浜松情報』第299号)。
【会員制スポーツクラブ】
また、昭和の終わり頃から市内でも会員制スポーツクラブが誕生した。これも新銭湯と同様に健康ブームが生み出したものであった。昭和六十二年に砂山町に都市型のサーラスポーツができ、昭和六十三年に佐鳴湖北岸の富塚町にリボン浜松が出来た。ともにプール・テニスコート・エアロビクススタジオを備えていた。前者は中部ガス不動産が運営し、多目的ホールやギャラリー、さらに和・洋・中華レストランもあり、人が集まる場としてのクラブを重視していた。後者は、西武百貨店が経営母体であり、リゾート感覚のプールがあり、日光浴も楽しめ南国気分が味わえた。その後、このようなスポーツクラブは続々と建設されていった(『浜松情報』第213号)。