【長期欠席者 登校拒否 不登校】
浜松市内の小中学校、特に中学校で年間五十日以上の長期欠席者の増加傾向が確認できたのは昭和五十年代半ばであった。これらの長期欠席者の多くは病欠や事故欠ではなく、また単なる怠惰でもなかった。いじめや学業の不振、教職員に対する不信感など学校生活上の問題が起因することもしばしばみられた。このような傾向は全国的な社会状況となっていて、当時は登校拒否と呼ばれていた。しかし、登校したくないのではない長期欠席者も多く、学校へ行かない状況を表す不登校という言葉が徐々に使われるようになっていった。浜松市でも不登校児童・生徒の数は、平成に入る頃から急速に増加していった。市教育委員会の調査によれば、平成四年度で年間三十日以上欠席している小学生は四十七人・中学生百十六人、同十年度は小学生百二十七人・中学生三百九十九人、同十四年度は小学生九十三人・中学生四百三十二人となっている(『静岡新聞』平成十一年十二月八日付・同十五年三月六日付)。とりわけ中学校での増加が顕著であった。