【ふれあい教室】
平成二年、文部省の学校不適応対策調査研究協力者会議は、登校拒否はどの子にも起こり得るという見解を示し、登校拒否児の適応教室の開設を求めた。浜松市では平成三年五月にふれあい教室(不登校児適応指導教室)を開設、元城小学校の空き教室を拠点に、体育館や浜松城公園などを利用して同三年度には三十九回開いていた。
【ボランティア指導員】
この事業の目的は、カウンセリングやふれあい活動(スポーツ、体験活動、ゲーム等)を行うことによって心を開き、自立と再登校のための支援をするということで、浜松市教育委員会の指導課が所轄することになった。指導者は小学校の元校長と主婦のボランティア指導員の二人で、毎週木曜日の午後の二、三時間が活動時間であった。当初は小学生が二名、中学生が三名、計五名の子供が通ってきていた。浜松城公園での散歩や教室に用意された用具を使って、輪投げやバドミントンをして語らいながら、かたくなになっていた子供たちの気持ちを徐々にほぐしていった。平成四年度は月曜日から金曜日までの午後三時間、指導者はボランティアの主婦ら計七人に増え、交代で指導に当たった。スポーツもインディアカやソフトボールなどにも広がり、ゲームや子供たちのアイデアを生かした創作活動も行った。また、担任教師はふれあい教室を参観し、子供と一緒に様々な体験活動をした。さらに子供のアイデアを生かした創作活動も行われ、再登校への意欲を徐々に高めていった。平成四年度は小学生十一人、中学生二十三人が参加し、うち小学生一人、中学生四人が学校に完全復帰、十四人が学校行事や保健室への登校が出来るようになった。
その後、サッカーや料理教室なども始まり、異年齢集団による体験活動も盛んに行われるようになった。これらは全国に先駆けた取り組みと評価されるようになり、全国各地からの訪問者があった。平成六年十一月、ふれあい教室での指導を通して、十人以上の再登校をさせた実績を評価された主婦の太田久美子は市教委から浜松市教育文化奨励賞を授与された(『読売新聞』平成六年十一月五日付)。この記事で太田は「学校や教師の側ではなく、不登校の子の側に立ってやれる、そんな人間が一人ぐらいいてもいいはず」とボランティア指導員に応募した理由を語っていた。
平成六年十月から、市教委は、家から外出も出来ず、ふれあい教室に通うことも出来ない子供たちをふれあい教室のスタッフや市民ボランティアが家庭を訪問するメンタルフレンド事業を始めた。この背景には平成五年度、病気以外の理由で学校を三十日以上休んだ児童・生徒は二百八十人、そのうちふれあい教室に来ているのは数十人に過ぎないという実態があった(『中日新聞』平成六年十一月二十九日付)。