【フリースクール】
平成十年代になると、民間でも不登校の子供たちに対する支援が市内各所でみられるようになった。とりわけ積極的に取り組んだのが元高校教師の大山浩司であった。大山は天竜川町に平成十四年四月にフリースクールのドリーム・フィールドを開設した。ここの案内には「いじめなどによって不登校になった子どもたち 学習障がいや軽度発達障がいを持った子どもたち そして6才以上のすべての子どもたちが 優しい心と大きな夢を広げて 共に育つことのできるバリアフリーな体験的学びの場です。」と記されている。
中田島海岸でアカウミガメの保護活動をしていた環境保護団体のサンクチュアリ・ジャパンとの連携による環境教育やロック音楽やギター、造形や絵画などを通して自己表現を学ぶ芸術教育など、それぞれの進度や興味に合わせて学ぶことが出来る学習科目が用意された。そして、小中学校の校長の了解を得ることにより、当該学校の卒業資格が認められるようになった。また、中学校の卒業生には通信制高校に入学して高卒資格を取るためのサポートもしていた。
大山は、「『不登校の生徒を前年度比二割減』という目標もある。その達成のために〝登校させること〟に躍起になる教員も少なくないだろう。不登校という現象が問題なのではなく、『不登校は問題だ』という固定観念そのものが子どもたちの心を追い詰めていることに気付かずに。そして『保健室に来ていれば不登校ではない』『無理してでも校門まで来ればよい』などと、形式的な成果と数値で満足してしまうことになりかねないのだ。」(『中日新聞』時想 平成十七年七月四日付)と当時の学校教育への批判をしていた。ドリーム・フィールドでは、社会自立を目指しながらも、子供の在籍校へ復帰を目標とは掲げなかった。それに対し、市のふれあい教室(不登校児適応指導教室)は、自立と再登校を目指し、不登校生徒の在籍校の教員との関わりに重点を置き、子供の心を開くことが出来る学校を含めた環境作りを目指した。また、西部中学校をはじめ各小中学校では、一人一人の子供たちの学習ニーズに対応できる教育環境への改革に取り組んだ。市内ではそれぞれの持ち場で、学校が嫌だと感じ、学校を避けるという不登校の子供が投げ掛けた問題への様々な取り組みがなされていた。