ドクターヘリ

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【聖隷三方原病院】
 第三章で浜松市における救命救急センターの開設について言及した。航空自衛隊ヘリコプターに医師が同乗して救命活動をする事態があって、南アルプスで発病した大学生や山間僻地の患者を搬送したことなどである。ここに至って聖隷福祉事業団は昭和五十九年四月、中日本航空(株)等との共同出資により日本救急医療ヘリコプター株式会社を設立した。これは会員組織によって運営されるもので、その中心的役割を果たしたのが聖隷三方原病院である。この救急医療ヘリコプターの活躍の一端は、三重県鈴鹿サーキットにおけるF1グランプリ開催時に見える。F1走行の許可条件は救急医療ヘリコプターが待機していなければならないことである(『新編史料編六』 八医療 史料14「F1開催と救急医療ヘリ」、『聖隷』№187、平成九年一月一日発行)。実にF1走行時のサーキットには百名以上のレスキュー隊や医療スタッフが常駐し、重症患者を二、三分で病院に搬送する救急ヘリコプターが待機しているのである。右は救急医療ヘリに志願した聖隷三方原病院看護士の体験記事である。
 ヘリコプターが救命救急活動として医療従事者を同乗させる段階から、特化されたドクターヘリが、その社会的地位を確立するまでには幾つかの直面する問題があった。すなわち、医療用ヘリコプターの飛行運用が公認されるには、救急医療に関しては厚生労働省の、搬送業務に関しては消防庁の認可を要するのである。その上さらに、患者等の搬送にかかる高額費用の問題を解決しなければならない。
 消防防災ヘリのドクターヘリ的活用段階を端的に示す訓練があった。平成九年九月八日付『静岡新聞』は、浜松市が三遠南信災害時相互応援協定に基づいて静岡県・豊橋市と協力する合同訓練がなされ、県の防災ヘリコプターを使った重症者搬送訓練があったことを報じている。この場合の災害想定では地震による浜松市南部の大災害である。陸上交通が不能に陥ったので県の防災ヘリの出動を要請して重症者を豊橋市民病院に搬送する。かつ、そのヘリは同病院の医師と看護婦を乗せて航空自衛隊浜松基地へ運び、医師等は車で県西部浜松医療センターに向かうという大規模なものであった。