右の理念を実証するようなことが発生している。それは平成二十年一月二日、愛知県設楽町の山間部で、帰省中の家族の三歳の男児が凍結したため池に転落しているのが発見され、心肺停止状態に陥っていた。重度の後遺症を残すか死亡するかという可能性が高い状態であった。聖隷三方原病院救命救急センターのドクターヘリが出動し、静岡市の県立こども病院に搬送した。搬送時は体温二十八度という高度な低温状態であったという。同病院の小児集中治療センター(PICU)で脳低温療法などの集中治療を実施した。一月六日に意識が回復し始め、十二日には一般病棟に移っている。事故から二十日後、後遺症も全くない状態で退院した。
【早川達也】
右の事件は平成二十年一月二十二日付の『静岡新聞』にも報じられている。他方、認定NPO法人「救急ヘリ病院ネットワーク」の季刊誌『HEM―Netグラフ』(二〇〇八年春号、第10号)には、救出から救急治療開始までの時々刻々を詳細に掲載している(図4―36)。これに関わった聖隷三方原病院院長補佐岡田眞人(ドクターヘリ・ネットワークディレクター)は、県立こども病院のPICUが出来て七カ月の間に救急対応が八十二例に達していることを挙げ、この成功は地域における医療と救急の連繋システムがほぼ完成したからであるという。また、聖隷三方原病院救命救急センター長の早川達也医師は「ドクターヘリの導入は消防と医者がお互いに勉強しはじめる大きなきっかけになり」、「医者も消防も発想を転換し、重症患者に対する診療体制を確立してきたことが、今回の救命につながった」と述べ、日常的なネットワークが大切であることを強調している。
図4-36 救急活動の経緯
右季刊誌(第5号)の「ドクターヘリ最前線 第五回」として特集された「聖隷三方原病院」では、東海地震のための災害対策につながるドクターヘリが、県内の様々な機関や人々、消防・医師会・病院・県・市町村・道路公団・保健所などの県西部ドクターヘリ運航調整委員会のメンバーによって運航されており、愛知県・長野県・静岡県東部のドクターヘリや海上保安庁・防衛庁とも相互補助の関係にあることが認識されているのである。
右に見た小児救命事例について、國松孝次はドクターヘリでなければ成し得ない貴重なケースで、聖隷三方原病院ドクターヘリの金字塔という評価を示している。