昭和三十七年六月に浜松市医師会中央病院が開院し、同四十八年四月には県西部浜松医療センターが開院して、診療形態としてはオープンシステム、すなわち開放型病院として、病診連携のシステムをとった。他方、財政と運営の主体として同年に浜松市医療公社を設立している。これ以後、浜松市内の病院はオープンシステムを採用して諸病院と診療所・開業医との連携を深めたのである。オープンシステムとは再言すれば、患者のためのそれではなく、開業医のためのものであり、それには病診の有機的連携、両者の診療区分の明確化、初診から転帰までの一貫的診療、開業医の卒後教育の四条件を備えるものである(『浜松市医師会史』六六八頁)。
【病診連携】
この浜松市内の病診連携の実現状況は、平成九年には聖隷浜松病院、同十一年には遠州総合病院、同十二年には聖隷三方原病院・浜松労災病院・浜松赤十字病院、同十五年には浜松社会保険病院、同十七年には浜松医科大学医学部附属病院が実施している。
なお、救急医療体制の病診連携では、既述の如く、昭和四十九年五月に浜松市夜間救急室(公設公営)が発足し、市内八病院と連携した浜松方式〔1次は開業医、1.5次は待機医、2次は救急病院(八病院が輪番制)、3次は昭和五十七年十月から救命救急センターでの診療方式、『新編史料編六』 八医療 史料6〕を成立させている。このシステムの中に、平成十二年には2次救急輪番病院として、浜松医科大学が参画している(『浜松医師会史』七六頁)。