[浜松医科大学学生の結核調査報告]

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【結核】
 戦前の結核療法(『浜松市史』四 第二章第八節、第三章第八節参照)は、大気・安静・栄養の三原則に尽きた。敗戦後は麻酔学の進展に裏打ちされた外科療法や化学療法の出現があり、他方、昭和二十六年三月三十一日の結核予防法の制定(改正)に基づく結核治療の公費負担に支えられ、浜松保健所の日常活動も進み、患者の減少も見られた。しかし、消毒と患者隔離とは結核予防の大前提であることには変わりなく、結核が地上から根絶されてはいない現実が続いている。それを窺(うかが)わせる状況が平成年代に入っても新聞紙上で報じられている(後掲)。
 
【松下實 桜井信夫】
 浜松医科大学公衆衛生学教室、衛生学教室が主宰する実習に参加した学生らの報告書にもそのような実態が指摘されている。右は浜松地域における結核発生状況と患者の受療状況、また第一線の病院における治療の現状について調査したものである。すなわち、昭和五十四年度、浜松医科大学公衆衛生学教室教授松下實・衛生学教室教授桜井信夫編『社会医学(公衆衛生学・衛生学)学生実習報告書』、および、昭和五十八年度、浜松医科大学衛生学教室教授桜井信夫・公衆衛生学教室講師豊川秀治編『社会医学(衛生学・公衆衛生学)学生実習報告書』第5集である。この報告書は市内地区別の住民調査(年齢・性別・職業)、保健所事業年報、結核登録患者カード(市役所・保健所)、聖隷三方原病院入院カルテなどについて、統計処理と分析を加えて立論したものである。ここでは『新編史料編六』 八医療 史料32に掲載した前者の報告書を取り上げ、考察部分を紹介する。
 
【結核罹患率】
 浜松市における結核罹患率は全国平均よりは低いが、静岡県ではやや高いという傾向を示し、有病率も同様である。結核死亡率は戦後の抗結核剤の登場時期に一致して激減しており、静岡県の死亡率は全国平均よりやや低く、浜松市は逆にやや高い。しかし、昭和四十九年度以降は全国平均と差がほとんどない。結核予防法により結核検診は、全国民が年一回受診しなければならないが、浜松市の場合、保健所の尽力により、結核検診は肺がん、胃がん、子宮がんの検診と併せて行えるようになっており、自治会の通知を通し二台の検診車が巡回している。しかし、市民の関心は高揚していない。
 結核治療終了後の三年間は管理検診の義務があるが、現実には徹底していない。昭和五十年から同五十三年にかけて新たに発見された結核登録患者を職業別に見ると、主婦を含む無職者が約四十%を占め、発見率は官公庁職員や民間職員の職場検診において高い。結核登録患者の受療状況では浜松市は全国と比べて医療放置は少ないが、入院治療は少なく在宅治療が多い。
 これによって管理検診、家族検診をより充実させ、教師・保母など感染した場合、その影響力が大なる職種の集団検診は徹底的な検診が必要であり、高齢者検診も重要であること、これらが指摘されている。