浜松文芸館において「童話ファミリー三人展」が開催されたのは、平成十五年七月中旬から八月にかけてのことである。三人とは浜松在住の童話作家那須田稔(第三章第九節第六項参照)、稔の妹で童話作家の岸川悦子、稔の二男でドイツ在住の童話作家・翻訳家の那須田淳である。この時、三人に加えて稔の夫人西野綾子、稔の長男務、務の夫人伊藤深雪、淳の夫人木本栄関係の資料も展示された。まさに文字通りの童話ファミリーの展示であった。以下、三人について略記する。
【那須田稔】
那須田稔は、昭和六年(一九三一)浜松市に生まれる。幼少年期を旧満州(中国東北部)で過ごす。同二十一年、中国から引き揚げ浜松第二中学校(現浜松西高校)に転入学。高校二年頃から作詩。同二十六年、東洋大学文学部国文科に入学。同三十年愛知大学中国文学科に転入学。同三十二年、酒井敏子と結婚。長男誕生を期に子供のための童話、少年詩などを書き始める。同三十六年、妻子と共に上京。同三十七年、初めての創作児童文学『ぼくらの出航』(講談社)で講談社児童文学新人賞受賞。同四十一年、『シラカバと少女』(実業之日本社・講談社文庫・木鶏社)で日本児童文学者協会賞、サンケイ児童出版文化賞受賞。同四十二年、おとぎばなしシリーズ(盛光社)で第21回毎日出版文化賞受賞。同五十一年浜松に帰る。同五十三年、株式会社ひくまの出版創立。著述とともに主として子供の本の出版活動を展開した。
【岸川悦子】
岸川悦子は那須田稔の妹。昭和九年(一九三四)浜松市に生まれる。幼年期を旧満州(中国東北部)で過ごす。跡見学園卒業後、郷里浜松にて寺子屋塾「つくしんぼ学習室」を経営。子育てが一段落した四十二歳の時、中国からの引き揚げ体験を書いた『えっちゃんのせんそう』で作家活動に入る。その後、「金色のクジラ」など、命の尊さを伝えるために書き続ける。平成四年、いじめ根絶を願って書いた『わたし、五等になりたい!』でサンケイ児童出版文化賞推薦を受ける。『金色のクジラ』『わたし、五等になりたい!』『えっちゃんのせんそう』は映画化されている。
【那須田淳】
那須田淳は昭和三十四年(一九五九)、浜松市に那須田稔の次男として生まれる。同五十三年、浜松西高校卒。同六十年、早稲田大学文学部西洋文化学科卒。イギリス(ロンドン)に語学留学(翌年帰国)。同六十三年、未来小説『三毛猫のしっぽに黄色いパジャマ』でデビュー。平成四年五月、ドイツのミュンヘン国際児童図書館に奨学研究員として招聘される(十月帰国)。平成六年、ドイツ・ボン日本語補習授業講師となる(翌年退職、帰国)。平成七年木本栄と結婚、ドイツ(ベルリン)に転居。著作としては『おれんちのいぬチョビコ』ほか。翻訳(妻の木本栄との共訳)としては『エスターハージー王子の冒険』ほか多数がある。