【浜松国際ピアノコンクール】
次に、浜松国際ピアノコンクールである。この事業は平成二十四年十一月には第八回が開催され、今では世界的なコンクールとして定着し内外から高い評価を得るに至っている。同コンクールの第一回が開催されたのは、平成三年(一九九一)十一月のことである。コンクールの終了後、組織委員会の作成した『第1回浜松国際ピアノコンクール報告書』には、「これから世界で活躍する演奏家の育成に努めることを目的とする。」とあり、内容としては、「コンクールは国籍にかかわりなく16歳から30歳までの約70人の参加者により予選及び本選を行い、優秀者を表彰する。」とあって、明確に若手の育成を目指している。開催期日は、平成三年十一月十四日から二十四日。会場は浜松市民会館ホール。主催は浜松市・社団法人日本演奏連盟・第1回浜松国際ピアノコンクール組織委員会の三者であった。組織委員会の発足は、二年前の平成元年六月三十日、会長には栗原勝浜松市長が就任した。運営委員会の発足は同年七月八日。委員には白柳昇二委員長(浜松交響楽団音楽監督、静岡大学教授)以下七名が就任。続いて安川加壽子委員長(ピアニスト、日本芸術院会員、日本演奏連盟理事長)以下十名の審査員が決定(日本人三名、外国人七名)。以後二年間、各委員会の会合が重ねられ準備が進められた。平成二年三月二十五日募集要項発表、翌三年六月三十日、募集締め切り〔応募者数三百二名(三十カ国二地域)〕。十一月十三日にはグランドホテル浜松において歓迎レセプション。市長以下百三十名が参加した。予選には地元浜松市からは仲道祐子、石井克典の二名の参加となった。第一次予選出場者六十八名(二十カ国二地域、通過者十九名)、二次通過者六名。次いで十一月二十三・二十四日の二日間、第二次予選通過者六名による本選。二十四日浜松市民会館ホールにおいて結果発表と表彰式。結果は次の通りであった。
第一位 セルゲイ・ババヤン(ソ連) 第二位 アン=マリー・マクダーモット(アメリカ)
第三位 シュ・チョン(中国) 第四位 南雲竜太郎(日本)
第五位 長尾洋史(日本)、ジャンパオロ・ストゥアーニ(イタリア)
日本人作品最優秀演奏賞 アン=マリー・マクダーモット(アメリカ) 奨励賞 三輪郁(日本)
表彰式の後、グランドホテル浜松においてさよならパーティーが開催された。第一位のババヤンは挨拶の中で、「浜松は素晴らしい町。一位になったことで、演奏会などに呼ばれるように忙しくなりたい」と述べた。ババヤンは、モスクワ音楽院、同大学院卒。一九八九年R・カサドシュ国際ピアノコンクール、一九九〇年パームビーチ国際コンクールでも一位の経歴を持つピアニスト。同コンクールへの市民の関心は高く、『静岡新聞』平成三年十一月二十五日付では、予選本選を通じて延べ八千五百人が鑑賞したと伝えている。
第二回が開かれたのは平成六年十一月。会場は十月に開館して間もないアクトシティ浜松で、これは同館のオープン記念事業を兼ねるものであった。この年から審査員に中村紘子が就任。中村は第三回から審査委員長を務めた。以後、同コンクールはアクトシティ浜松を会場に、三年ごとに開催されて現在に至っており国際的な評価は極めて高い。