[浜松市アクトシティ音楽院の開校と活動]

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【浜松市アクトシティ音楽院】
 浜松市アクトシティ音楽院の開設が決定し、その具体的な内容が『広報はままつ』に発表されたのは、平成十年(一九九八)二月二十日号紙上である。同事業について記事の冒頭に次のようにある。
 
   四月一日、多くの音楽界で活躍ができる人材の育成や、市民の皆さんが気軽に音楽に親しみ学ぶ機会の提供を行うなど様々なソフト事業を包括する音楽教育機関として「浜松市アクトシティ音楽院」が開設されます。音楽院の事業は、音楽に関する様々な情報や機会の提供などを行い、地域の音楽文化の向上と活性化を目指し、体系的・継続的に実施します。
   学院長には市長、副学院長には教育長があたり、アクトシティ浜松運営財団への委託による運営が行われることになっています。
 
開設は四月一日とあるが開校式が行われたのは四月二十日であった。式典にはピアニストの中村紘子、サックス奏者原信夫らが招かれた。浜松市による音楽院設立の構想が浮上するのはアクトシティ建設時であったが、それは、予算・人材面などの理由により一旦棚上げとなる。同事業の構想が再び取り上げられるのは平成八年で、八月に浜松市アクトシティ音楽教育機関懇話会が発足し、同年十一月、市長に新たな施設を設置するのではなく事業を総括して音楽院とするなどの提言を行っている。こうした経緯を経て平成十年の開設となったものである。前記『広報はままつ』によれば事業は十継続事業と五新規事業からなり、①マスターコース、②ゼネラルコース、③コミュニティコースの三コースに分かれていた。
 発足した同音楽院は、マスターコースから国際的なコンクールで入賞する修了生が生まれるなどの成果を上げたが、数年を経て内容の再検討がなされ、三つのコースは、①コミュニティコース=市民の参加・体験型講座、聴講・学習型講座の開催、人材活用、楽譜貸出など、②アカデミーコース=世界レベルのアカデミーの開催、演奏家の育成の二つに再編され今日に至っている。