浜松駅の北口の左手、現在遠鉄百貨店新館の建っているところには、かつて総ガラス張りに近い官民複合ビル・フォルテがあった。このビルの四階に、浜松文芸館の分館として木下恵介記念館が開館したのは市制九十周年に当たる平成十三年(二〇〇一)七月一日のことである(木下監督の経歴・業績については、『浜松市史』四 第三章第九節第七項を参照)。木下監督は昭和六十三年の浜松文芸館の開館以来、長年名誉館長を務めていたが平成十年に亡くなっている。浜松文芸館は、生前は監督本人から、また亡くなってからは親族の方々から三千数百点に及ぶ資料の寄贈を受けており、平成十一年には木下恵介展を開催したこともある。記念館はそれらの資料を引き継いで開館したものであった。開館式には監督の実弟で作曲家の木下忠司、また、木下作品「二十四の瞳」などに出演した俳優の田村高廣などが招かれた。しかし、この記念館はフォルテの閉館に伴って平成二十年九月には一時休館を余儀なくされたが、翌年、浜松市指定有形文化財で耐震補強工事を施された旧浜松銀行協会(中区栄町)に移転となり、その年の十二月五日、一年三カ月ぶりに再オープンした。
図4-45 木下恵介記念館リーフレット
【はままつ映画祭】
第一回はままつ映画祭が開催されたのは平成十四年十月であるが、その背景には前年の木下恵介記念館のオープンなどによる、浜松市民の木下監督への関心を通じての、映画そのものへの関心の深まりがあった。従ってこの事業には初め「木下恵介記念」という言葉が冠せられていた(第五回まで)。期間は十月十三日から二十日までのうち五日間。場所は静岡文化芸術大学、フォルテなど四カ所。第一日目には、木下監督の実弟で作曲家の木下忠司のトークショー、また、最終日には映画監督山田洋次の記念講演が行われた。期間中、映画としては木下監督の代表作「カルメン故郷に帰る」「楢山節考」を含む七本が上映され、これとは別にこども映画祭として子供向け映画を無料で上映する企画もあった。主催者の中心は浜松市であったが、静岡文化芸術大学の協賛、木下恵介プロダクション、中日新聞、静岡新聞などの後援のほか多くの市民のボランティアに支えられての開催であり成功であった。同映画祭は平成二十年現在も開かれている。