鳥居松遺跡は、森田町から神田町にまたがる弥生時代後期(約千八百年前)の遺跡として、平成七年(一九九五)十一月に社員寮の建設に伴う事前の試掘調査で発見された。その立地から、三重の環濠を持つこの地域の中核集落である伊場遺跡の周辺集落の一つとして位置付けられた。
【家形土器】
家形土器は、その鳥居松遺跡から平成十四年一月、浜松市が宅地造成工事に先立って行った埋蔵文化財発掘調査の際に出土したもので、それまでに同遺跡の調査は二回行われており、発見時は第三次調査であった。調査の後、担当した浜松市博物館では、報告書『鳥居松遺跡』―3次調査―(平成十四年二月二十日刊、浜松市文化協会)を作成しており、この家形土器は「主要な倉庫や祭殿など、集落内で重要な役割を担っていた建物が写されたと推定される。」と記している。さらに、年代は弥生時代後期前半のものであり、「大畦畔の南肩から完形の土器と共に出土していることから、水田に伴う祭祀に用いられた可能性が高い。」とし、「災害に見舞われることなく稲が生長するようにといった願いが込められたのか、または無事に収穫ができたことを感謝して作られたと想像される。」と解説している。この家形土器は、平成十七年十月十九日付けで、浜松市の有形文化財(考古資料)に指定された。家形土器の出土は全国で十例程度知られるが、写実性が高く保存状態も良好で学術的価値が高いことが指定の理由であった。
図4-47 家形土器
なお、鳥居松遺跡では、遺跡発見後も断続的に発掘調査が行われ、弥生時代の遺物だけでなく、隣接する伊場遺跡の大溝(おおみぞ)(古墳時代から平安時代の自然河川)の下流部が貫流していることが確認された。この大溝の周辺からは古墳時代以降の遺物・遺構も検出され、伊場遺跡群を構成する集落(官衙)遺跡の一つであることが判明している。
【金銀装円頭大刀】
さらに、第五次調査(平成二十年一月~六月)の際に、金銀装円頭大刀(全長76・5㎝)が伊場大溝の川底から発見されている。これは「6世紀前半に朝鮮半島で製作された可能性が高く、木彫金銀張技法によって双龍文が表現された円頭大刀として現在のところ国内唯一の事例である。」などの理由により、平成二十二年十二月二十一日付けで、浜松市の有形文化財(考古資料)に指定されている。