[歴史の散歩道の整備]

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【歴史の散歩道】
 散策を楽しみつつ歴史を味わい学ぶことが出来る道として、浜松市が歴史の散歩道(以下、散歩道)を設定したのは昭和五十六年(一九八一)である。市がこの事業に取り組み始めたのは一年以上前のことで、既に昭和五十四年十一月二十一日付の『静岡新聞』が「町並み保存に『歴史の散歩道』」「浜松城―佐鳴湖間4.2㌔」の見出しでかなり具体的に報じており、この頃すでに構想が練られていたと見られる。
 設定された散歩道のコースは、浜松城公園から佐鳴湖まで約四・二キロメートル。設定を報ずる『静岡新聞』の記事(昭和五十六年三月三十日付)は、「市の中心部から西側は緑や史跡が残され、静かな落ち着いた町並みをみせている。歴史の散歩道は、この地区を縫うように設定された。」と説明。途中にある史跡・施設等として、浜松城公園・普済寺・西来院・宗源院・三謡公園・蜆塚公園・博物館・太刀洗いの池・佐鳴湖を挙げている。散歩道の途中には、案内標識十二カ所と史跡などを紹介する説明板九カ所が設けられた。また、市の花・萩と蜆塚遺跡の復元家屋を図案化した散歩道のシンボルマークも決められ案内標識と説明板に付けられた。

図4-48 歴史の散歩道のマーク

【家康の散歩道】
 その後、散歩道については『東海展望』(昭和五十六年七月号)が詳しく紹介し、『広報はままつ』(昭和六十一年冬の号)にも記事を載せるなどしているが、市民の関心はいまひとつ深まらない状況が続いていた。平成七年(一九九五)になって、市は散歩道の見直し再整備に取り組むこととなる。こうして平成八年、新しく観光振興を意識した家康の散歩道が定められ整備が行われた。これは浜松城に十七年間を過ごした徳川家康を前面に出した事業であるが、ルートはスタートを浜松城公園から誕生井戸に変更したが、基本的には歴史の散歩道に重なるものである。なお、浜松市ではパンフレット「家康の散歩道」(観光コンベンション課)を作成し、PRに努めている。