浜松城公園内に、浜松市茶室(松韻亭)が開室したのは平成九年(一九九七)十一月二十二日(一般の利用は十二月二日から)のことである。もともと、浜松市が施設建設の構想を立てたのはこれよりも数年前のことであったと見られる。平成三年九月四日付の『静岡新聞』に「日本古来の文化継承しよう」「茶室中心の施設整備」の見出しの下に、浜松市が茶室を中心にした伝統文化継承施設の整備を計画していることを報じているからである。ただ、同記事はこの段階では茶室の設置場所について、浜松城公園やコンベンションホール、アクトシティなどの数カ所が候補に挙がっているとしている。完成した施設は、十畳の広間二つと立礼席を備えた主棟松韻亭と離れの萩庵から成る。名前の由来は、『静岡新聞』(平成九年九月二十三日付)によれば、主棟は中国明代の書『菜根譚』中の一節「林間の松韻、石上の泉声、静裡に聴き来たりて、天地自然の鳴佩を識る」から取られている。離れは当時の市花・萩にちなんでの命名であった。
こうしてオープンし、順調に滑り出した松韻亭であったが、市民の一部からはお金のかけすぎという疑問の声も聞かれたことを当時の新聞は伝えている(『中日新聞』平成九年十二月十一日付)。
図4-50 松韻亭リーフレット