あとがき

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 さきに『浜松市史』は史料編全六巻(昭和三十八年までに刊行)と通史編三巻(昭和五十五年までに刊行)を世に問うている。通史編は昭和二十年八月十五日までの記述であった。日本全体にとってはもとより、敗戦後の浜松市の復興と発展に尽力された市民の底力を記録しておくことが将来を展望する礎となろうから、それに資せんがため、ここに『浜松市史』新編史料編一~六、戦後を扱う現代編として通史編の二巻を編さん刊行することになった。新編史料編六巻は既に刊行した。通史編は先行三巻に続くものとして、平成二十四年に『浜松市史』四を刊行し、いま、本書『浜松市史』五を刊行する。
 このたびの通史編は、戦時下、B29の襲来、艦砲射撃に遭遇して職場や市街で絶命した市民や旅行者、病床で治療も適わなかった人々、学徒動員先の軍需工場で落命した女生徒、戦地で非業の死を遂げた親兄弟など、総じて非命に斃(たお)れた人々の日常のあれこれを蘇らせるよすがとならんか。戦禍をくぐり抜けた人々にとって、また戦後生まれの市民にとっては、この記録が記憶の拠り所として、風化を防ぐ紙碑とならんか。あわせて、戦後の復興に活路を見いだし、営々と築き上げてきた戦後七十年の市民生活は、このような血縁、地縁に連なる記憶と尽力の地続きにあることを自覚させてくれるであろう。
 戦後七十年の浜松の市民生活にみなぎった意欲はめざましいものがあり、この通史編に登場する各分野の記述がそれを明らかにしていよう。そのいずれにおいても事業を達成させ、時期を画した人々こそ、孟子のいう「天の時、地の利、人の和」を一身において体現したものといえよう。同様の例を国内で見れば中村哲医師の著『天、共に在り』(平成二十五年、NHK出版)がある。これは東西冷戦の戦禍に続く内乱、外国の干渉、大旱魃(かんばつ)で農作物が稔(みの)らない荒廃したアフガンの大地で、ハンセン病をはじめとする感染症の医療活動に献身し、かつ、灌漑土木事業を完遂させた記録。これはペシャワール会の年間三億円の募金支援を受けて、「人為と自然、その危うい接点で知恵を尽くし、祈りを尽くした」三十年来の大事業記録。その成功を自ら「天地人の和合」と評言した。
 時空こそ違え、復興と飛躍を期した事業展開や市民の文化的意欲に支えられて、戦後を総括する気運の一環とする今回の浜松市史編さん事業もその一であろう。市民各位と市当局の後援に負っている。すなわち、浜松市議会、歴代市長、歴代教育長、歴代市立中央図書館長・歴代市博物館長と職員各位、また、当時の公民館地区推薦の調査協力員諸氏、市立中央図書館市史編さん室・郷土資料室・参考図書室の職員各位の御配慮は格別なものである。これによりまさに孟子の言が実感されるのである。
 戦禍の余燼から遠からぬ昭和二十四年、先の『浜松市史』編さん時の顧問、坂本太郎(明治三十四年―昭和六十二年)は鈴木ゆすら編集の『地方文化』十二月号「みづぐき」欄で、「故郷のあのさわがしい営利のわざをはなれた文化的な仕事の成熟を見る」と言って編者の業績に讃辞を呈した。今回の通史編『浜松市史』四・五では、各分野における市民生活の胎動・成長・展開の様相、つまり坂本太郎が示唆する「営利のわざ」と「文化的な仕事」の一斑が、二つながら窺(うかが)えよう。
 「通史編」に登場する産業人の中には、経営方針や喜怒哀楽を言語化し、講演や著作、絵画等によって公表している人々がいる。それらには設計図以後も絶えず試作を重ね、思考を深めた現場主義の実績が示されている。そこに読者・聴衆・観覧者に考えさせ、意欲を喚起させるものがあるからであろう、市民の中に信奉者を生む因由がある。このような文化状況の伝播と定着の様相が通史編に記述され、物から人へ、人から人へと伝播し定着していく。これが浜松の地に伏流するマグマである。
 市史編さんの場合、「物」といえば史料批判を経た史料であり、その背後に存在する事実である。「物」尊重の一前提として日本近世医学史上でいえば、前野良沢・杉田玄白等による『解体新書』翻訳出版(安永三年、一七七四)の契機を生んだ山脇東洋の『蔵志』がある。これは京都所司代の許可を得て解屍(かいし)を執行(宝暦四年、一七五四)し、その観察記録を出版(宝暦九年、一七五九)したものである。まさに漢説を否定した日本最初の人体解剖図譜である。これを本論とみるならば、これに至る経緯を述べた序文(原漢文)に、「理」(理屈・情報)は「顚倒(てんとう)」するかもしれないが、「物」(事実)は「誣(ふ)」する(事実を曲げてこじつける)ことはできない。「物」を確かめそれに基づき言語化すれば、「庸人(ようじん)」も真理を語ることができると記している(富士川英郎著『書物と詩の世界』所収、「蘭学のはじまり」参照)。
 右の方法論は当時「親試実験(しんしじっけん)」と呼ばれた。これが浜松市史編さん執筆委員会の立脚点であり、「物」とは先行する『新編史料編』や、割愛された膨大な史料群がそれである。編集方針についていえば、杉田玄白が『蘭学事始』の中で、『解体新書』編述方針として、「赤とか黄なるとか一色に決し餘はみな切り棄(す)つる心」を表明したが、『浜松市史』ではむしろ、執筆者による「五色の絲(いと)の亂(みだ)れしは皆美」(岩波文庫)であることが共通理解である。いわゆる監修方式は採っていない。市民諸氏におかれてはこれを了とせられ、あわせて禍棗災梨(かそうさいり)の譏(そし)りを免れんことを願うものである。以上
    平成二十八年三月       浜松市史編さん執筆委員会委員長 岩 崎 鐵 志
 
史 料 提 供 者 等(順不同 敬称略)
 
浜松市立中央図書館 (浜松市)
浜松市美術館 (浜松市)
浜松市博物館 (浜松市)
木下恵介記念館 (浜松市)
公益財団法人 浜松市文化振興財団 (浜松市)
日本赤十字社静岡県赤十字血液センター浜松事業所 (浜松市)
航空自衛隊 浜松基地 (浜松市)
一般財団法人 浜松光医学財団 (浜松市)
一般社団法人 浜松市歯科医師会 (浜松市)
国立大学法人 静岡大学 (静岡市)
国立大学法人 浜松医科大学 (浜松市)
静岡県立浜松湖南高等学校 (浜松市)
静岡県立浜松工業高等学校 (浜松市)
静岡県立浜松湖東高等学校 (浜松市)
静岡県立浜松東高等学校 (浜松市)
学校法人誠心学園 浜松開誠館中学校・高等学校(浜松市)
浜松市立篠原中学校 (浜松市)
浜松市立新津小学校 (浜松市)
学校法人赤門学園 赤門幼稚園 (浜松市)
学校法人笹田学園 デザインテクノロジー専門学校(浜松市)
株式会社 静岡新聞社 (静岡市)
株式会社 郷土出版社 (長野県)
ヤマハ株式会社 (浜松市)
遠州鉄道株式会社 鉄道営業所 (浜松市)
圓通山 西見寺 (浜松市)
半田山 龍泉寺 (浜松市)
日本基督教団浜松教会 (浜松市)
鈴  木  正  之 (浜松市)
小 田 島     寛 (浜松市)
後  藤  悦  良 (菊川市)
鈴  木  君  枝 (浜松市)
 
浜松市史編さん関係者名簿  平成二十八年三月現在
 
浜松市史編さん執筆委員会
 
特別顧問  鈴木 康友 浜松市長
 
委 員 長  岩崎 鐵志 静岡県立大学名誉教授
副委員長  佐々木崇暉 静岡文化芸術大学名誉教授
委  員  阿部  聖 愛知大学地域政策学部教授
  同    伊藤 伸一 元聖隷学園高等学校講師
  同    後藤 悦良 元浜松市立高等学校教諭
  同    鈴木 正之 元浜松市立中央図書館指導主事
  同    坪井 俊三 元浜松市立高等学校教諭
  同    矢田  勝 浜松市立神久呂中学校教諭
 
 
浜松市史編さん調査協力員
池川 義雄  内山 宏之  岡田  裕  河村 初友
久米 洋司  斎藤 良宏  佐藤  昭  竹山 勝茂
豊田 剛司  袴田 亘一  藤田 裕夫  本田猪三郎
松浦 宏明  松島 秀夫  宮本  卓  杢屋 幹夫
森上不二男  𠮷田 和子  吉田 孝司
浜松市史資料解読員
坂本 克巳
浜松市立中央図書館 市史編さん担当
職 員  漆畑  敏
     鈴木あゆ子 日髙 純江
     松下裕美子