[自伝 與資平誌]

 / 27ページ
 この自伝は、中村與資平氏が晩年郷里の浜松に落ち着かれたのち、原稿用紙に書き記されたものである。
 
 書き記された年などは不明であるが、記録が昭和20年の終戦の年、岸夫人の死去に至るまでが記されていることから、昭和20年代のはじめにまとめられたものと思われる。
 
 内容は、①小学校から東京帝国大学工学部建築科卒業までの成長期、②大学を卒業して日本建築界の泰斗辰野金吾博士の事務所に入り、第一銀行韓国総支店(現在の韓国銀行本店)の設計を行い、工務長として指揮にあたったことと、独立して朝鮮・満州で活躍した時代、③第一次世界大戦後のヨーロッパ旅行、④実践女子専門学校(現在の実践女子大学)、日本大学における教育者としての生活の四つに分けられよう。
 
 なかでも、小学校から中学校時代の様子はいきいきと描かれ、当時の浜松周辺の情景が眼前に浮かび上がってくるようである。ヨーロッパ旅行では、特にドイツの科学教育に示唆を受け、帰国後「児童科学教育会」を組織し、科学教育の先駆者として活躍されたことなど感銘深いものがある。