[昭和19年]

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 大東亜戦争は苛烈となり、学生も殆ど工場へ挺身として勤めるようになったので、学校には籍はその儘として、昭和19年6月郷里に疎開することになった。40余年振りに郷里に落ち着くことになった。疎開してからは悠々自適、暦日なき生活を続けたので、健康大いに回復したが、サイパン島が敵の手に陥ってからはB29の空の要塞機が時々襲い来て安き心地もせざるうちにその翌年1月26日に40余年連れ添った妻、岸(きし)に急死された。一時は生きていく希望も失ったが、追々時を経るに従い、心も落ち着き、これでは自分の健康も害し、子供等に一層の心配を重ねることにもなり、それは決して故人に対する追善にもならぬと思い返した。