東京帝国大学建築科を卒業後、東京の辰野葛西建築事務所に入所した。辰野は日本建築界の元勲、日銀本店、東京駅など日本近代建築史上重要な作品を手がけている。
中村与資平は辰野金吾の指導のもとで設計の仕事を担当したが、最初の仕事は第一銀行京城(今のソウル)支店(今の韓国銀行本店)であった。
彼が設計の技師長として韓国に渡ったのは1908(明治41)年、日本の領土となるわずか2年前のことで、日本の勢力下にあった時であった。
韓国併合(1910年)後の1912(明治45)年中村建築事務所を京城市(今のソウル市)黄金町に開設、以後多くの銀行、デパート、学校、教会などを設計した。
日本の経済力がさらに満州に進出しはじめると、彼は1917(大正6)年満州の大連(今のターリェン)にも支所を開設、奉天(今のシェンヤン)、長春(今のチャンチュン)などの銀行、デパートの設計を手がけていった。
しかし、1920(大正9)年京城の中村建築事務所が火災に遭い、建物のみならず資料等がほとんど焼失、ここで事務所を東京に移し大陸での仕事は終りをつげる。しかし、彼の手がけた建物の多くは今なお使用されている。