現在の市民会館の南(昔は諏訪神社社有地)に浜松市公会堂が起工されたのは大正14年12月20日、建設地をめぐって論議があったが市役所や中心部に近いこともあってここに建てられた。総工費19万円、鉄筋コンクリート、地階共で4階、1階は大小会議室と公衆食堂、2階は850名収容の大ホール、貴賓室、3階にはギャラリー、映写室などが設けられた。しかし、なんといっても市民を驚かせたのは公会堂の外観、すなわち古代ギリシャの建物を連想させるルネサンス様式のみごとな出来ばえの正面の柱であった。
この柱は中村氏苦心の作、柱上の鳩は朝倉文夫のデザインによるものであった。
昭和20年6月の空襲で一部が火災にあい、戦後補修して再び公会堂として使用していたが、昭和37年児童会館に改装された。
しかし、この建物も科学館の落成により昭和61年3月をもって閉館、中村与資平の県内はじめての本格的鉄筋コンクリートの建物は惜しくも解体された。