經歷

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 私は明治參拾八年七月に、東京帝國大學工科大學建築科を卒業致しますと直ちに、故工學博士辰野金吾先生の建築事務所に入りまして建築設計に從事致してをりましたところ、朝鮮銀行(其當時第一銀行)が建築計畫せられましたので、辰野博士指導のもとに專らその設計に從事致しまして、該工事監督のために、同行建築技師長として、明治四拾壹年渡鮮致しました。銳意その竣成に努力致しました結果、萬事豫想外の進捗を得て、明治四拾四年十二月建築工事を落成せしむるに至りました、銀行よりは金盃一組並に金壹封を贈られました。
 この重任を果しました後に、獨立して京城に中村建築事務所を設立し、傍ら朝鮮銀行建築顧問として、專ら朝鮮半島各地の建築設計、並に監督に從事致してをりましたが、たまたま滿洲の開發に連れ、同地方よりの依囑の激增致しましたので、大正六年には大連に建築事務所の出張所並に工事部を新設致しまして、從來の建築設計に加ふるに、工事の請負にも從事致すことになりました。
 大正拾年三月建築視察のために、當工務所技師獨人アントン、フェラー氏を伴ひて、米、獨、墺、佛、英、和、抹、瑞、諾、白、瑞、西、伊等の各國を廻遊致しまして翌拾壹年二月に歸朝致しますとまもなく同年四月よりは本部を東京に移しました。東京に於ての最初の設計監督は東京市立麴町區番町小學校でありまして、その落成に當り麴町區役所よりは特に金杯一個を贈られました。爾來引き續き專心建築設計、監督並に工事請負に從事致し居りますが、幸ひにして事業日と共に隆盛に趣きつつあるは皆樣の一方ならざる御庇護による事と所員一同と共に深く感謝致してをる次第であります。