浜松駅前停留所
かじ町停留所
なめだ町停留所
新幹線駅前停留所
浜松駅前停留所
かじ町停留所
伝馬町停留所
市役所前
浜松駅前停留所
ショッピングセンター停留所
連尺停留所
旅篭町停留所
東海道線の開通に伴って、明治21年に初代浜松駅が開業しました。この初代駅舎は、狭くなったことにより、改築工事が行われ、大正15年に工事が完成し、2代目の駅舎が完成しました。ところが、昭和20年の空襲により焼失してしまいます。終戦直後は応急的なバラック駅舎が使用されましたが、昭和23年に木造2階建の赤い屋根とクリーム色の外壁の新しい駅舎が完成しました。この駅舎は長く市民に親しまれましたが、昭和54年に東海道本線の高架化が完了すると、新しい浜松駅舎が新幹線と東海道本線の高架下に建設されました。また、駅北側にはバスターミナルが昭和57年に完成します。
東京のデパートという魅力を持った西武百貨店は、昭和55年当時、市内最大の売場面積がありました。屋上には、家族連れで楽しむことのできる遊園地もありました。西武百貨店の開店などにより、鍛冶町通りには多くの人が訪れました。
四代目となる浜松駅は、約1年間の工事期間を経て、昭和54年10月16日に開業しました。昭和56年4月には駅の構内に「浜松駅ショッピング街コスタ」が開店し、多くの店舗で買物を楽しむことができるようになりました。
東海道線の開通に伴って、明治21年に初代浜松駅が開業しました。この初代駅舎は、狭くなったことにより、改築工事が行われ、大正15年に工事が完成し、2代目の駅舎が完成しました。ところが、昭和20年の空襲により焼失してしまいます。終戦直後は応急的なバラック駅舎が使用されましたが、昭和23年に木造2階建の赤い屋根とクリーム色の外壁の新しい駅舎が完成しました。この駅舎は長く市民に親しまれましたが、昭和54年に東海道本線の高架化が完了すると、新しい浜松駅舎が新幹線と東海道本線の高架下に建設されました。また、駅北側にはバスターミナルが昭和57年に完成します。
近くの浜松モール街は、昭和40年代に長崎屋、ニチイ、サゴーなどの大型店が開店し、賑わいをみせました。また、鍛冶町通りには昭和12年開店の松菱百貨店、昭和46年開店の西武百貨店があり、丸井も昭和49年に開店しました。
中心市街地の道路には駐車した多くの自動車であふれ、昭和30年代から交通事故が増えたため、事故防止の取り組みが行われました。 昭和39年以降に駐車禁止区域が設定され、昭和40年代に伝馬町交差点などの中心市街地の地下道の整備が進められました。
昭和25年に浜松城公園と周辺を会場として開催された浜松こども博覧会は、会場内に動物園がつくられました。博覧会終了後、会場と動物園を引き継ぐ形で浜松市動物園が開園しました。「ゾウのいる動物園」として県内外から人気を集め、昭和58年に舘山寺町に移転するまで、多くの人に親しまれました。
東海道線の開通に伴って、明治21年に初代浜松駅が開業しました。この初代駅舎は、狭くなったことにより、改築工事が行われ、大正15年に工事が完成し、2代目の駅舎が完成しました。ところが、昭和20年の空襲により焼失してしまいます。終戦直後は応急的なバラック駅舎が使用されましたが、昭和23年に木造2階建の赤い屋根とクリーム色の外壁の新しい駅舎が完成しました。この駅舎は長く市民に親しまれましたが、昭和54年に東海道本線の高架化が完了すると、新しい浜松駅舎が新幹線と東海道本線の高架下に建設されました。また、駅北側にはバスターミナルが昭和57年に完成します。
戦後、有楽街と名付けられた繁華街は、昭和26年にスズラン灯をともしたり、昭和28年に孔雀型のネオン灯が設置されたりして、華やかな通りとして賑わいました。昭和32年には、田町にショッピングセンターと呼ばれた近代的な商店街が完成し、「横のデパート」として注目を集めました。
昭和59年には有楽街のレンガ舗装が完成し、各店舗も装いが新たになりました。
伝馬町から下池川町へ抜ける伝馬池川線(通称市役所前通り)は、昭和34年、全線が幅36メートルに広げられました。また、自動車の普及や事故が増えたことにより、昭和28年以降、徐々に交差点に信号機が設置されました。
昭和55(1980)年の『浜松市内バスマップ』の上を、当時のバスが走ります。