解題・説明
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現在は竜ヶ岩洞と呼ばれる。引佐町内には多くの石灰岩地形がみられる。竜ヶ石山のその1つで地元の人々は「石山」と呼んでいた。大正期より採石され、その掘削の課程で昭和5(1930)年に鍾乳洞鍾が発見された。軽便鉄道の沿線であり、方広寺への参詣者で賑わっていたため、ロウソク代を入洞料としていたが時代に合わず中止。終戦後、再開された採石事業により鍾乳洞は掘削されて消失。昭和56(1981)年に戸田貞雄が石山を買い取り鍾乳洞を発掘整備し「竜ヶ岩洞」と名付けられ公開された。 奥山村田畑 鍾乳洞入口 鍾乳洞内錦之間 洞内五十間目の瀧 洞内八十間目百畳敷 鍾乳洞前 六所神社藤の大木 洞内天然の仏像 洞内地獄谷の光景
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