(3)村を救った野坂完山(のさかかんざん)

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 今から200年くらい前(江戸時代(えどじだい)),西条町寺家(じけ)に「野坂完山」というお医者さんがいました。24才のときに,亡くなったお父さんの後をついで医者になりました。当時は,ききんが絶えることがなく,飢(う)えとそれに続く伝染病によって,たくさんの人々がなくなることもありました。
 1822年,完山が37才のとき,西条町辺りにコレラという伝染病が大発生しました。病気の原因が分からなかったので,十分な治りょうができないままでした。
 そんなある日,完山はコレラを予防(よぼう)するための薬を使って人々を助けることを思いつきました。そして,「このままでは,病気が広がるばかりです。幸(さいわ)い,私にはこれまでたくわえてきたお金があります。このお金を使って予防薬を用意し,すぐに配りましょう。こんなときこそ,これまでお世話になってきた村の人々のために,お役に立ちたいのです。」と,村長に申し出ました。村長はこころよく受け入れ,完山は,予防薬15,000点を西条の中でも生活に困っている村から配り,治りょうを続けました。こうして,コレラは次第(しだい)におさまっていったのです。
 
※コレラとは…
 伝染病の一種。高熱が出て,ひどいげりやおうとを引き起こす。
 早ければ,4時間~6時間でなくなる場合もある。

 

野坂完山の肖像画(しょうぞうが)

野坂完山の墓

 なぜ,野坂完山は,自分の財産(ざいさん)と知識(ちしき)を使って,村の人々を助けたのだろうか。

 完山は医者として高く評価(ひょうか)され,1834年には,広島藩の藩医(はんい)になりました。その3年後,大ききんが起こりました。さらに,「はしか」が流行し,広島藩だけで10万人もの人々がなくなりました。
 このとき完山は,飢(う)えている人に栄養(えいよう)をつけるため,食べることのできる野山の草木と,その調理法を本にまとめ,村々に配っています。
 このように,野坂完山は,病気で苦しむ人々や貧しい人々に愛の手を差しのべてきました。
そして,1840年,56才の生涯をとじました。
 野坂完山がおこなったことを年表にまとめてみよう。

 
チャレンジコーナー:「わらもち」作り
 天保8年の大ききんのとき、完山は、66種類もの草木の調理法を書いた本を村々に配布しました。その中で紹介されている「わらもち」作りに君もチャレンジしてみよう。

わらの両はしを15cmずつ切り捨てます。

約1cmにきざみます。

2~3回水にひたし干します。

フライパンでいります。

すりばちかミキサーで粉にします。

目の細かいあみでふるいます。いろいろ混ぜ合わせます。

むします。

すりばちでこねます。

だんごにまるめてできあがり。