(揮毫・・・毛筆で絵や文字を書くこと)
この歌碑は、祝詞山八幡神社の宮司(ぐうじ) 富永則之(とみながのりゆき)氏の「万葉の昔から栄えた風早の歴史を後世(こうせい)に伝えよう」という趣旨(しゅし)に、その年還暦(かんれき)を迎(むか)えた地元の12人と町内の有志(ゆうし)が賛同(さんどう)し寄進(きしん)されたものです。
万葉歌碑の建設について紹介された新聞記事
【出典:芸南新聞 昭和47年(1972)5月28日(日)第1313号】
歌碑除幕式(じょまくしき)の様子を伝える新聞記事
【出典:芸南新聞 昭和47年(1972)6月18日(日) 第1316号】
【出典:芸南新聞 昭和47年(1972)5月28日(日)第1313号】
歌碑除幕式(じょまくしき)の様子を伝える新聞記事
【出典:芸南新聞 昭和47年(1972)6月18日(日) 第1316号】
芸南新聞(げいなんしんぶん)【昭和26年(1952).6.10―平成4年(1994).4.12】
芸南新聞社は「芸南民衆(みんしゅう)新聞」、「夕刊げいなん」を経て1952年発行の233号から1994年発行の2291号まで46年にわたって地元地域に情報(じょうほう)を伝えました。
安芸津図書館では、985号(1966.1.1)~2291号(1994.4.12)を所蔵(しょぞう)しています。