新編弘前市史 通史編1(古代・中世)
[口絵]
序
凡例
新編 弘前市史 通史編1(古代・中世) 目次
第3章 古代蝦夷の時代
第一節 原エミシおよびエミシ文化の時代
一 古墳文化北進の限界
東北地方の古墳時代
青森県の古墳文化
東北地方北部の群集墳
七・八世紀代の津軽地方
二 続縄文文化の南下
弥生文化と続縄文文化
古墳文化と続縄文文化の交流
三 原エミシ文化からエミシ文化へ
原エミシ文化の形成
第二節 津軽の蝦夷と阿倍比羅夫の遠征
一 蝦夷の意味するもの
エミシとは
毛人
蝦蛦
「蝦夷・蝦狄」表記の創造
二 蝦夷はアイヌか
アイヌは白人か
日本人の起源
北東アジア人の渡来
混血の進展
人間との共生動物の分布
蝦夷はアイヌか
三 大和政権の東北進出
東北地方の古墳文化
国造の分布
古墳文化及ばぬ北の世界
四 阿倍比羅夫「北征」
津軽、「日本史」の舞台へ
田道伝説
「津軽」の地の独自性
柵の設置
阿倍比羅夫の登場
比羅夫は何回遠征したか
斉明天皇四年の「北征」
有間浜の所在
渡嶋の所在
斉明天皇五年の「北征」
後方羊蹄の所在地
斉明天皇六年の「北征」
沈黙交易
粛慎とは何者か
第三節 律令時代の青森
一 渡嶋津軽津司
陸奥国と出羽国
渡嶋津軽津司
靺鞨とは
二 大征夷時代の青森
三十八年戦争の時代
伊治公呰麻呂の乱
桓武の登場
蝦夷首長阿弖流為
征夷大将軍大伴弟麻呂
征夷大将軍 坂上田村麻呂
胆沢築城
阿弖流為の投降
文室綿麻呂の登場
青森県下の情勢
三 北奥地域の田村麻呂伝説
田村麻呂と青森
田村麻呂と頼朝
田村麻呂と観音信仰
青森県内の田村麻呂伝説
田村麻呂は東北人の英雄か
四 元慶の乱と津軽
乱の勃発
藤原保則の登用
夷語を解する小野春風
津軽への注目
渡嶋の終焉
第四節 考古学からみた平安時代の津軽
一 農耕社会の定着
ふたつの広域火山灰
平安時代の大規模集落
五所川原窯跡群の操業
擦文文化圏との交易
地方色を顕す古代の津軽地方
二 環壕集落の出現
環壕集落の構造と年代
環壕集落の性格
三 津軽の古代信仰
原エミシ文化・エミシ文化の祭祀遺物
平安時代の律令祭祀
津軽地方の古代信仰
四 擦文文化との交流
擦文文化の特徴
本州の擦文文化の実態
擦文文化の終末年代
第五節 謎の一〇・一一世紀
一 鎮守府・秋田城体制
摂関政治の時代
王朝国家論
陸奥・出羽の在庁官人たち
安部氏・清原氏の登場
二 天慶の乱
異類の来襲
将門の乱との関係
契丹との関係
狄坂丸の乱
三 北方との交易
防御性集落登場の背景
交易雑物制
稀有な北の富
北の富の搾取
四 俘囚長安倍氏と津軽・糠部
安倍氏の登場
安倍氏の柵
前九年合戦の勃発
鎮守府将軍源頼義
阿久利川事件
頼時の死
黄海の戦い
清原氏の登場
小松柵の戦い
鳥海柵落ちる
安倍氏の滅亡
鎮守府将軍清原武則
五 エミシからエゾへ
エゾ呼称の発生
エゾ=アイヌ
防御性集落の消滅
第4章 中世前期
第一節 中世的北方世界の開幕
一 延久蝦夷合戦
後三条天皇の登場
「東夷征討」祈願
延久蝦夷合戦の実相
乳井福王寺の伝承
延久蝦夷合戦と津軽
二 奥州藤原氏の登場と北方世界
後三年合戦
平泉藤原氏
北奥における建郡
特殊な行政区画
奥大道と文物の流通
三 考古学からみた中世的世界
かわらけと陶磁器
四耳壺の出土
土器の煮炊から鉄鍋へ
中崎館の鉄製品
竪穴から掘立柱へ
四 中世前期の交易
中国製品の出土
陸の道・海の道
埋納銭の出現
第二節 鎌倉幕府の東夷成敗権と得宗領津軽
一 文治五年奥州合戦
鎮守府将軍秀衡
治承・寿永内乱下の秀衡
秀衡と義経の死
奥州合戦の勃発
阿津賀志山の防塁
阿津賀志山の合戦
鳥取越えの奇襲と安藤次
国衡の死
三沢安藤四郎の活躍
泰衡の死
頼朝の全国制覇
二 奥州惣奉行と津軽惣地頭
奥州惣奉行葛西清重
下総葛西氏と津軽葛西氏
津軽惣地頭宇佐美実政
大河兼任の乱
多宇末井の梯
奥州惣奉行制の確立
三 得宗領としての津軽
守護・地頭の制
奥羽地方の地頭制
県下の諸郡
津軽(郡)中名字の世界
北条得宗領の形成
時頼廻国伝説
津軽の唐糸伝説
秋田の唐糸伝説
得宗領・安藤氏との関わり
津軽氏の系譜と唐糸御前
得宗被官の入部
得宗領の分割
工藤氏の出自
四 嘉元鐘の鎌倉武士
「嘉元鐘」
得宗北条貞時
嘉元鐘銘文に登場する鎌倉武士
五 御内人の世界
津軽曽我氏の出自
津軽平賀郡への入部
曽我氏系図の復原
嫡流と庶流
曽我惟重とその妻
曽我光弘とその妻
曽我泰光とその妻
曽我光頼とその家族
曽我貞光とその家族
津軽曽我氏の所領・岩楯村
津軽曽我氏の所領・平賀郷
津軽曽我氏の所領・鼻和郡
津軽曽我氏の所領・名取郡
姻戚から伝領した所領
片穂家から伝領した所領
高麗氏から伝領した所領
所領の経営
六 境界の地津軽と「東夷成敗」権、そして安藤氏
境界の北進
中世の境界認識
北の認識
西と南の認識
流刑地としての境界
夷島流刑と東夷成敗権
境界の地外浜
穢・祓と境界の地
津軽安藤氏
安藤氏の系譜認識
藤崎系図
安藤系図
秋田家系図
下国伊駒安陪姓之家譜
仲麻呂鬼伝説
多様な系譜の在り方
系譜伝承のキーワード
鬼王・安日
安倍高丸
奥州安倍氏とのつながり
系譜認識の変化
蝦夷か蝦夷の支配者か
蝦夷管領
奥羽の特殊産物
海の民・山の民としての安藤氏
安藤氏の特殊な氏族結合
安藤氏の所領
七 蝦夷の争乱と津軽大乱
北方の蝦夷の乱
文永の蝦夷の乱
元応の蝦夷の乱
蝦夷の乱と安藤氏の乱
安藤の乱の展開
八 鎌倉幕府滅亡
鎌倉幕府滅亡と津軽曽我氏
大光寺楯の合戦
石川楯の合戦
持寄城の合戦
一族の分裂
討幕の論功行賞
工藤氏の活躍
糖部郡での論功行賞
第三節 中世前期の宗教世界
一 古代における北奥の宗教世界
二 北奥宗教界を彩る中世的寺社
三 北奥宗教界の中世的転回
四 執権時頼の東国廻国をめぐって
第5章 中世後期
第一節 北辺の南北朝動乱
一 奥羽の建武新政
北畠親房の政権構想
足利尊氏の離反
足利幕府の奥羽支配
二 南北朝期の津軽曽我氏の動向
南北朝の動乱と曽我氏
北畠顕家の死
曽我貞光の奮戦
津軽曽我氏の滅亡
三 南北朝期の津軽安藤氏の動向
蝦夷沙汰職の行方
後醍醐方につく
安藤高季の活躍
顕家からの安堵
尊氏側につく
検断奉行への抜擢
分裂した蝦夷沙汰
第二節 室町・戦国期の津軽
一 「日の本将軍」安藤氏
日の本将軍と鎮守府将軍
日の本の将軍と地域の自立性
夷千島王の朝鮮遣使
日の本将軍の多面性
二 室町幕府体制と北奥羽
応永初期の動乱
湊安藤氏の誕生
三 安藤・南部氏との抗争
内乱期の蝦夷沙汰
応永十八年の衝突
安藤氏の没落
第三節 南北交易と「境界地域」津軽
一 十三湊と津軽
湊の始まり
湊の最盛期
十三湊空白の百年
一六世紀の湊
二 陶磁器と津軽
舶載と国産
非かわらけ地域
陶磁器と地域社会
北日本の地域差
三 中世の道具と生産
食の道具
住の道具
衣の道具
農の道具
鍛冶・鋳物師の道具
戦いの道具
四 中世の住居とムラ
建物の変化
ムラの建物
五 城館の発掘成果
調査された館
城館発掘の成果
城館調査の今後
第四節 戦国津軽とその終焉
一 戦国津軽の夜明け
奥羽地方の戦国時代
津軽奪還を目指して
「津軽(郡)中名字」と浪岡北畠氏
二 南部氏の津軽平定と石川高信
三戸南部氏による領国支配の強化
南部晴政の登場と一族間の対立
三 大浦為信と安藤愛季
為信の離反
浪岡城攻略
安藤愛季の津軽侵略
津軽独立に向けて
四 戦国期津軽の農村と都市と城館跡
(一)農村と都市の発生
中世の農民
農民の生活
農民の住まい
戦国時代の都市(城下町)発生
(二)大浦氏の城と城下町の流れ
大浦氏の城下町建設の流れ
種里城と町
大浦城と大浦城下町
堀越城と城下町
藤崎城と中世都市
五 戦国動乱の激化と城館群
(一)歴史的な激化の背景
文献史料から見た戦国動乱の激化
合戦の方法
刈田・放火
女性たちの戦場
(二)さまざまな中世の城館
複雑化する城館
城館タイプの分類
(三)当市域内の中世城館跡
本城(根城)の城館跡
支城の城館跡
詰城の城館跡
枝城・端城の城跡
方形居館跡
その他の城館跡
(四)中世城館のネットワーク
種里城を中心とした城館群
大浦城築城以前の城館跡
東目屋地域に見られる城館跡
堀越城・石川城を中心とした城館群
(五)発掘調査から見た遺跡
石川城跡
福村城跡
大光寺新城跡
大浦氏関係の中世城館跡
第五節 中世後期の宗教世界
一 中世寺院の建立
二 津軽の修験道と神社
三 中世寺社の存在形態
四 中世津軽の宗教世界の特色
[後付]
掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧
協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順)
[奥付]
[付図]