奥羽地方の地頭制

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ところが奥羽両国における地頭職の補任に際しては、郡や荘園ないし保を単位として行われるという特徴があった。もともとこの地方の荘園は郡と名前の一致するものが多く、郡の範囲が実質的に荘園の範囲であるところも多かったので、結果的に郡単位の地頭設置が目立つが、これこそ奥羽地域の地頭制の特徴である。奥羽には守護的な惣奉行が置かれはしたものの、守護自体は置かれなかったこともあって、この地の地頭たちは国衙(こくが)行政権の担い手をも兼ねた、諸国の守護に匹敵するような権限をも有していたのである。
 こうした新天地である東北地方の地頭職を得たのは、前項で述べたように葛西・伊沢両氏をはじめとして、畠山・北条・三浦・千葉・小山・大江・足利・中条といった、もっぱら関東に本拠を置き、将軍に近侍する有力御家人たちであった。
 彼らは現地へ自ら下向することはなく、庶子かその一族、あるいは家臣を、郷・村ごとに代官として派遣したり、現地の住人を代官・沙汰人として登用したりした。年貢を地頭のいる鎌倉に運上する実務は、そうした地頭代が担ったのであり、鎌倉の地頭たちの屋敷には、こうした豊かな東北の富が積み上げられていたのである。