西については、史料によってかなりゆれがあるが、基本的に鬼界島(硫黄島)という意識が強かったようである。ただ高麗と表記される朝鮮半島を含むものがあることに注目される。
南については、現実の地形から見て当然のこととはいえ、一番史料が少なく、時に土佐または熊野と意識されることがあったようである。
前述したように、当時の地理観としては、日本列島を東西に長いものと意識するのが普通であったようであるから、関心が東西に集中しているのは当然のことであろう。右に掲げた史料のなかでは、南北の境に触れないことはあっても、東西の境に触れない例は一つもない。