改革意見書の基調

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以上二部の改革意見書をみてきた。これ以外にも多く挙げることができるが、おおむねこれまでの内容に包摂される。以下、その共通点として確認できる諸点を挙げておこう。
(1)卯年(天三年)飢饉後の諸問題が、寛政改革の直接の課題となっていること。

(2)その課題は、主に財政の再建にあり、ここに藩士土着の必要性が打ち出されていること。

(3)この場合、土着藩士知行地に在住する地方知行に復することを意味し、これによって藩士財政藩財政から一定程度自立させることが主眼とされていること。

(4)同時に、人・土地移動を背景とする農村支配の再編と、人口激減・廃田増大を背景とする耕作力の増大化も目指され、特に寛政以降は、農村の復興に伴う年貢諸役の増徴策の側面から、前者の比重が大きくなっていること。

(5)藩財政の最大の桎梏(しっこく)として両都銀主への依存があるが、生産力の拡大以外これをしのぐ方法がないこと。

(6)したがって、山や諸産物の開発、育成の方向が設定されると同時に、藩専売が志向されていること。

(7)以上の諸点は、四民の業が錯綜(さくそう)し、また諸民困窮の状況にあって、藩国家としてのまとまりを欠くという領主側の危機意識を強く反映したものであること。この場合特に、家臣団の素餐遊食(そさんゆうしょく)化が階級支配を弛緩させていると考えられていること。

 以上より、土着策は当時の諸課題をあらゆる方面から解決しうる可能性を持った政策と考えられ、したがって寛政改革の中心政策であったと考えられている。
 以下、これら意見書で示されたことが、具体的にどのような形で政策化され、具体化されていったかをみていくことにする。