(二)食事

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 全国的にみると、大名に近いレベルの上級武士とは別に、中・下級武士は米七分・麦三分ほどの麦飯を食べていた。家計はかなり初期から慢性的な赤字状態に陥っていた者が多く、家計切り詰めのしわ寄せを受けやすいのは食生活だったのである。そのため、屋敷の裏庭を畑にするなどして、副食品の自給自足を図る場合が多くなっていった。幕末になるとさらに困窮の度合いを増し、質入れや内職をして食料を得なければならない者が多くなった。子供の多い下級武士はさらに大変で、内職に精を出して麦や粟を買い、辛うじて一日一日を糊(こ)する状態になったのである(渡辺実『日本食生活史』一九六四年 吉川弘文館刊、武士生活研究会『武士の生活Ⅱ』一九八二年 柏書房刊)。
 津軽弘前藩では、藩士が毎日どのような食事をしていたのか具体的にほとんど不明といってよい。したがって、「国日記」のほか、いくつかの断片的な記録から食生活を推定せざるをえないのである。