目次

新編弘前市史 通史編4(近・現代1)

[口絵]

まえがき

凡例

新編 弘前市史 通史編4(近・現代1) 目次

第1章 明治前期の弘前

第一節 近代自治制度と弘前

一 青森県の成立と弘前

廃藩置県

弘前県から青森県へ

県政初期の混乱

二 明治初期の制度改正と弘前

(一)戸籍区・大区小区制と弘前

戸籍法と戸籍区

大区小区制の成立

(二)郡区町村編制法と弘前

郡区町村編制法への移行

戸長の配置

(三)戸長役場時代の村

村の実情

村制度の変貌

節倹規約証

組合町村制

第二節 士族の動向と自由民権運動

一 弘前不平士族

弘前士族の反発

不平の源流

二 津軽の自由民権運動-本多庸一を中心に-

東奥共同会の設立

保守派との合同団結

東奥義塾の啓蒙活動

県内遊説

請願建白文の審議

弘前の紛紜の始まり

弘前の紛紜の裏面

蝦夷の月

三 反自由民権グループ

陸奥立憲帝政党の結成

陸羯南の手紙

郷田県令と保守派

第三節 弘前地方の経済活動

一 青森県の成立と経済制度改革

家禄制度改革

貨幣制度の改革

旧藩体制改革への動き

神官僧侶会議での県の方針の伝達

二 地租改正

帰田法の帰結

地券の発行準備

地租改正の開始

地租改正の経過

三 殖産興業と士族授産

県政の展開と産業育成政策

士族授産事業の成立と展開

殖産興業の展開

勧業諸会の展開

米作奨励と栽培管理

「農事調査」と中津軽郡

菊池楯衛とりんご植栽

組織的活動-化育社

四 明治維新後の弘前と町の経済状態

町の様子

弘前市経済改善への提言

五 弘前の町財政と地方自治の出発

町財政の展開

明治二十年(一八八七)の予算審議

営業税雑種税賦課法の審議

六 通信・運輸

電信事業

郵便事業

運輸事業

七 第五十九国立銀行の創設

士族授産事業としての銀行設立の奨励

弘前における国立銀行設立計画

第五十九国立銀行の創設

開業時の状況

第四節 文明開化と東奥義塾

一 明治天皇の巡幸

巡幸と記念碑

明治九年の巡幸

明治十四年の巡幸

供奉員の陣容

行在所金木屋

行在所の奉迎ぶり

巡幸の日誌と弘前

二 旧慣廃止と新風俗

生活刷新の布告

伝統習俗の刷新

断髪

洋化風俗の一例

理髪床・銭湯

肉食と牛乳

嗜好品

ランプと写真

新暦の採用

開化思潮の影響

三 東奥義塾とキリスト教

東奥義塾開学

草創期の外国人教師たち

ジョン・イングの貢献

女子教育

キリスト教

私学東奥義塾の終焉-公立への移管

四 学制の実施

教育に関する「被仰出書」(おおせだされしょ)

学制の実施

弘前の小学校

校名改称と一校新設

私立小学校の乱立

学区の改変

小学の組織

学事奨励と天皇御巡幸

教科と教科書

学区取締(とりしまり)

授業料

含英女小学創設

鬼沢小学開校と「村落小学」

試験法と地方集合試験

教育令の公布

学区・学校聯合区の改正

白銀小学を「朝陽」と改称

城西小学校創立

大成小学校創設

時敏小学校の創設

五 弘前の諸学校

師範学校と分校の設立

青森県立弘前女子師範学校

県立弘前医学校(県立青森医学校)

中津軽郡公立弘前中学校

第2章 明治後期の弘前

第一節 弘前市の誕生

一 市制・町村制の発足

市制・町村制の公布

町村合併と弘前市制施行

市会と市役所開庁

最初の事務報告書

郡制の施行

二 大同団結運動と議会政治

中央における大同団結運動

後藤象二郎の動向

後藤象二郎の青森県遊説

遊説の影響

三 無神経事件

騒動の発端

鍋島知事の対応

知事辞職勧告

事件の波紋

辞職勧告運動の失敗

無神経事件のその後

四 弘前における名望人政治

最初の県会

第一回通常県会

町村会

弘前総町聯合会

明治二十年度予算審議

堀越村の場合

中津軽郡会

名誉職の町村長・助役

村会情景

五 弘前政党人の活躍

市制の施行

大同派の支配

地租増徴問題と青森県

道路改修問題と佐和知事

中弘政社の誕生

盗伐問題と師団の設置

地方の政争激化

弘城政社の衰退

弘前市政の乱れ

弘城政社の内紛と解散

第二節 第八師団の設置

一 日清戦争と郷土部隊

軍都以前の弘前市

大津事件~ロシアへの恐怖~

日清戦争と郷土部隊の出征

日清戦争終了後の民情

二 第八師団の誕生

ロシア戦への意識と第八師団の設置

師団誘致運動

第八師団の実状

三 歩兵第三一連隊の雪中行軍

二つの雪中行軍

『東奥日報』従軍記者の書いた雪中行軍記

第五連隊との遭遇

第三一連隊の壮挙とその後

四 日露戦争と「国宝師団」

日露開戦と第八師団の派遣

黒溝台の死闘

ロシア人捕虜と弘前捕虜収容所

地域と軍隊の密接化

第三節 市制施行後の弘前市経済

一 交通の発達と奥羽本線

奥羽本線の開通

鉄道の開通と運輸事業

通信関係

二 都市財政の展開

弘前市財政の整備

市税の構造

弘前市における県税と国税

弘前市における土地課税

三 市制施行前後の商工業

市制施行直前の商業

市制施行直前の工業

四 日清戦後の商工業

日清戦争後の商業活動

日清戦争後の会社、銀行と工業生産

五 日露戦後の商工業

日露戦後の商業

日露戦後の工業

電灯業の発展

六 弘前市の特産物取引

米取引の商況

金細工物の商況

織物の商況

菜種・水油の商況

漆器の商況

曲物(まげもの)の商況

あけび蔓細工業の発達

七 経済団体の活動

津軽産業会の活動

弘前地方米穀商組合の活動

商業弘前倶楽部の活動

弘前商業会の活動

弘前商業会議所の活動

八 金融業の展開

銀行政策の展開と私立銀行の設立

県下銀行の発展と金融都市弘前

第五十九国立銀行の普通銀行への転換

第五十九銀行の営業状況

第四節 農林業の発達

一 りんご栽培の拡大と販路拡張

りんご生産の展開と農業振興

養蚕業の奨励

産業組合の設立普及

農会の設立と農事改良

凶作と副業の奨励

二 地主制度の確立と農事改良

地主・小作関係

地主制の確立と在村地主の役割

第五節 教育の発展と充実

一 初等教育

小学校令の公布

小学校の改革

裁縫科と女子就学

小学校令と中津軽郡

簡易小学校について

森文部大臣の遭難

市制施行と小学校

国家主義教育の浸透

御真影下賜と教育勅語

就学生千人を超える

日清戦争と小学校

遊廓と小学校

玉成高等小学校の創立

就学励行

弘前市学区会の廃止

第二大成尋常小学校の創設

日露戦争と小学校

「教科書事件」と国定教科書の使用

義務教育の延長

明治天皇崩御

二 中等教育

青森県立弘前中学校の変遷

県内中学校の概況

校風刷新なる

工業学校の創設と東奥義塾の廃校

弘前女学校の創設

教育とキリスト教の問題

女学生の岩木山登山

弘前高等女学校の開校

弘高女の運動会

三 幼稚園教育

弘前女学校と付属幼稚園

弘前市立弘前幼稚園

若葉幼稚園設立

養生幼稚園の創設

愛光幼稚園の設立

児能花(このはな)幼稚園の設立

四 社会教育

幻灯会の開催

自他楽(じだらく)会の結成

「二九会」の結成

私立弘前図書館の創設

市立図書館の設置

町道場の設置

「ねぷた喧嘩」と町道場

伊東重と養生哲学

第六節 弘前公園の開設と市民生活

一 公園の開放

城跡の荒廃

公園開設

公園の払い下げ

招魂祭

鷹揚園の命名

藩祖の銅像

二 世相と市民生活

町並みの推移

洋風建築と蔵造り

藩祖三百年祭

和服と呉服商

女学生の風俗

洋服

髪型・化粧品

食生活の変化

新事物

新聞の発行

三 娯楽と社交

寄席・見世物

茂森座から柾木座へ

歌舞伎・新派劇

動く写真

料理店

遊郭の移転

第七節 弘前の宗教者ほか

一 ホーリネス教会の中田重治

生い立ち

伝道の日々

東洋宣教会ホーリネス教会

二 弘前カトリック教会と弘前昇天教会

弘前カトリック教会(百石町小路)

日本聖公会弘前昇天教会(山道町)

三 僧衣の〝阿倍仲麻呂〟千崎如幻

出生の真実と仏苗学園

アメリカに伝える禅の心

四 禅画の名手佐藤禅忠

出家と禅画

関東大震災後の巡錫布教

五 貞昌寺の山田良政碑

中国革命の義士

顕彰碑の建立

六 憂国の探検家 笹森儀助

在府町の偉人たち

若き日の笹森儀助

探検時代

『曠野の花』に描かれた笹森儀助

帰郷してのち

第3章 大正期の弘前

第一節 大正デモクラシーと弘前市

一 第一次護憲運動と弘前

護憲を巡る動き

市会乱闘事件

細民救済対策事業

助役問題

菊池武徳と中央政治

菊池九郎の手紙

『弘前新聞』の論評

二 義民藤田民次郎碑のこと

民次郎百年忌

民次郎を継ぐ心

三 失敗した弘前市史編纂事業

明治時代の市史編纂

市長の弁明

四 弘前の普選運動

制限選挙への批判

貴族院議員選挙の概況

青森県における衆議院議員選挙

普選運動の胎動

普選運動の激化

青森県における普通運動

普選運動の結実

五 弘前における労働および社会問題

(一)北洋の出稼ぎ農民たち

(二)竹内兼七、笹森修一とその周辺

青森県の社会運動の始まり

竹内兼七について

笹森修一、修二兄弟と社会主義研究団体

(三)大正の労農運動

シベリア出兵と反戦デモ

北部無産社

建設者同盟

(四)津軽における社会主義勢力の伸長

県内青年の政治的自覚

農民組合の結成

青森県の農民運動

第二節 陸軍大演習とシベリア出兵

一 第一次世界大戦と陸軍大演習

第一次世界大戦の衝撃

陸軍特別大演習の準備と開催

大正天皇の来迎と弘前市民

大戦景気と弘前市

二 第八師団のシベリア出兵

シベリア出兵と「尼港事件」

第八師団のシベリア派遣

三 歩兵第五二連隊と連隊区の廃止

軍縮と歩兵第五二連隊の廃止

歩兵第三一連隊の移転問題

連隊区の廃止

帝国在郷軍人会の設立

第三節 商工業の近代化

一 大正期における弘前市商業の動向

凶作の影響

不況からの脱却

会社企業の増加

二 主要企業の動向

主要銀行の景況

弘前電灯会社

その他の会社

三 副業的工業製品の製造と販売

木製玩具製品の販売

綿織物の製造、販売

あけび蔓細工製造、販売

四 商工業建設の建議

産業調査会の結成

弘前市長らの商業金融に関する意見

工業建設の意見

勧業費支出についての意見

五 弘前商業会議所の活動

弘前物産陳列館

営業税廃止運動

六 金融業の発展

金融関係法規の制定・改正

第五十九銀行と黒石銀行・弘前銀行の合併

第五十九銀行の大増資

弘前無尽株式会社の設立

七 交通・運輸の進展

鉄道事業の伸展

運送業の活躍

第四節 大正二年大凶作と弘前市の農業

一 大正二年の凶作

大凶作下の農村

義民藤田民次郎建碑運動

二 凶作後の農業

りんごの病虫害とその対策

外崎嘉七と島善鄰-りんごの神様と恩人

大正期のりんご流通

米作振興と米騒動

養蚕業の振興

農業団体の発展

第五節 教育の拡充

一 初等教育

大正新教育の勃興

小学校のスキー備え付け

大正二年大凶作と小学校

御真影奉置所の設置

授業料の廃止

特別大演習と天皇の弘前行幸

旧藩主逝去と小学校

軍艦見学

学校看護婦の配置

第二大成小学校の焼失

初めてストーブを使用

第一回少年野球大会

城西小野球部全国大会出場

二 中等教育

東奥義塾の再興なる

大正期の弘中

弘中生気質

弘中のスポーツ

県立弘前高等女学校

弘前女学校

弘前和洋裁縫女学校

県立工業学校

実業補習学校

三 官立弘前高等学校の創設

高等学校誘致運動の展開

弘前高等学校の開校

理科・文科両学生の確執

四 社会教育

私設青年団の結成

私設市連合青年団

弘前市青年団分団の結成

市青年団の結成

弘前市処女会の設立

青年訓練所の設置

藤田育英社の設立

第六節 観桜会の開催と市民の娯楽

一 観桜会の開催

荒城の桜

呑気(のんき)倶楽部

弘前観桜会の幕開け

大正期観桜会あれこれ

二 娯楽施設と新風俗

芝居小屋と寄席

初めての常設館・慈善館

蓬萊館から大和館へ

柾木座焼失と弘前座

新鍛冶町の方円館

大正新風俗

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