新編弘前市史 通史編5(近・現代2)
[口絵]
序
完結に寄せて
監修を終えて
凡例
新編 弘前市史 通史編5(近・現代2) 目次
第四章 戦前・戦中の弘前
第一節 軍都弘前の展開
一 大火と町村合併
大火と上水道設備の向上
大火の遺産と廃娼運動
市域の整備と町村合併
和徳村との合併問題
二 弘前市にとっての東北振興
連続する災害と東北振興政策
岩木川改修運動
市の衛生対策と生活改善運動
昭和弘前市民の一側面
三 満州事変と第八師団の活躍
弘前市にとっての第八師団
歩兵第三一連隊移転問題
郷土部隊の出征
四 秩父宮の来弘
軍隊と皇室(皇族)
秩父宮の歩兵第三一連隊赴任
秩父宮夫妻と弘前市民
五 満州移民の促進
移民問題の背景
当局による移民の促進
第二節 銃後弘前の市政と生活
一 日中戦争‐動員される市民‐
日中戦争の勃発
日中戦争の勃発への着手
二 健民運動の展開
国民体力の管理化
人的資源の動員と健民運動
健民運動と女性問題
三 銃後の市民生活
銃後後援強化週間の実施
軍人遺家族の援護対策
軍人援護政策と女性の位置づけ
四 太平洋戦争‐総動員体制下の弘前‐
太平洋戦争の勃発
女性・学童・朝鮮人の動員
赤十字の活動
五 敗戦‐銃後弘前の終焉‐
傷痍軍人の保護
反戦・厭戦の防止
供出と配給
戦時生活の諸側面
空襲を受けなかった弘前市
第三節 地域経済の動向
一 恐慌・戦時下の経済
昭和恐慌と相次ぐ災害
東北振興
出稼ぎの実態
二 昭和初年の商工業
昭和初年の弘前の商業
商店街の店舗
昭和初年の弘前の工業生産
第三回青森県鉱産物品評会
三 昭和恐慌と商工業
昭和恐慌の勃発と商工業
不況と失業問題
四 準戦時・戦時経済下の商工業
東北庁設置の要望
国家総動員体制下の商工業
商工会議所の廃止
五 恐慌・戦時下の工業
工業都市弘前
りんご加工業の展開
竹舘林檎組合のシャンパン製造事業
りんご酒の醸造
酒造業
津軽塗
弘前手織
青森県工業試験場
六 昭和金融危機の勃発と打開
金融危機の勃発
弘前銀行と第五十九銀行の休業
第五十九銀行の復活
県債五〇〇万円の成立
弘前銀行の解散
七 戦時金融統制と青森銀行の誕生
銀行合併政策
県内銀行合併の推進
青森銀行の誕生
弘前無尽会社の発展
八 交通・運輸の統制
鉄道敷設の請願
鉄道営業の整備
バス事業の本格化と戦時下統制
タクシー事業の進展
道路の整備
第四節 農業の動向
一 農村疲弊と小作争議
昭和初期の恐慌と冷害凶作
小作争議と地主制
二 昭和初期のりんご産業の発展
りんご栽培の進展
りんご加工業と輸出
三 産業組合拡充運動と経済更生運動
産業組合拡充運動
経済更生運動と計画
四 戦時体制下の生産統制
戦時下のりんご統制
米穀の統制と自作農創設
第五節 戦時教育の様相
一 昭和初期の初等教育
米国より人形贈らる
スキーの普及と大会
富田大火と第一・第二大成小学校の焼失
白取朝陽小学校長の奇禍
富田小学校の弘前移管と焼失
スケート大会行わる
時敏小学校焼失
満州事変勃発と小学校
秩父宮殿下の御来弘
朝陽小学校の移転と新築
進修小学校を和徳小学校に合併
日華事変勃発
勤労奉仕の始まり
夏休み短縮冬休み延長
紀元二千六百年奉祝
二 国民学校令下の初等教育
国民学校令
新教科書の採用
少年団の結成
忠霊塔建設
大東亜戦争始まる
海洋少年団の結成
児童の船沢村農耕地開墾
東京からの集団疎開児童
終戦の詔勅降る
終戦直後の国民学校
終戦直後の教育
朝陽・時敏校の貸与
新憲法の公布
学校給食の開始
三 青年学校
青年学校令の制定
青年学校就学の義務制
青年学校振興運動
弘前青年学校の発足
敗戦と教育内容の切替え
青年学校の移転と廃止
四 旧制中等教育
嶽籠城ストライキ
満州事変から太平洋戦争へ
報国団の結成へ
東奥義塾の昭和
昭和初期の弘前高女
全国制覇なる
戦時中の弘高女
昭和初期の弘前女学校
戦争と弘前女学校
和洋裁縫女学校の躍進
家政女学校の創設
県立工業から弘前工業へ
市立弘前商業学校の成立
弘前実科高等女学校の変遷
五 旧制弘前高等学校と青森医学専門学校
弘前高等学校と市民
官立弘前高等学校赤化事件
戦時体制と弘高生
官立青森医学専門学校の開学
六 幼稚園教育
弘前幼稚園類焼
聖ヨゼフ幼稚園開園と明星幼稚園開園
戦時下の幼稚園
七 社会教育の動き
通俗教育から社会教育へ
青少年団の動向
弘前市青少年団
第六節 恐慌・戦時下の社会運動と世相
一 津軽のナショナリズム
故郷(くに)を思う心
二つの源流
伊東梅軒
山鹿学の影響
伊東重
東門会の創立
東門会の佐藤正三
野村三郎と五・一五事件
県内の社会運動の状況
對馬勝雄のノート
佐藤正三と二・二六事件
東亜連盟
帝大合格と結婚
太平洋戦争始まる
東亜連盟同志会の活動
弘前へ帰る
終戦
戦後の佐藤正三
二 昭和戦前の社会・労働運動
(一)世界大恐慌と青森県
青森県における恐慌の影響
疲弊する農村
(二)無産政党の動き
無産政党の結成
県内における組織化と弾圧
総選挙での戦い
三 世界大恐慌と弘前市民
(一)農民組合と小作争議
青森県における小作人組合
凶作と小作争議
指導者・石岡彦一
県の対応
全農青森県連合大会
農民運動の変質
(二)弘電争議
争議の発端と経過
消費者の抵抗
弘電の反攻
争議の顛末
(三)失業・貧困問題
失業の増加と消費組合
婦女子の身売り
(四)労働争議
ストライキの諸相
四 戦時下のキリスト教弾圧
宗教団体法の成立
ホーリネス教会への弾圧
五 戦時体制下の弘前市政
市会の勢力図
二人市長事件
市民の政治意識の変化
乳井市政
葛原市政
忠霊塔の建設
翼賛選挙
終戦直後の弘前市会
第五章 戦後の弘前
第一節 軍都弘前の崩壊と占領
一 進駐軍対策
連合軍の弘前進駐
進駐軍将兵への対応策
市の対応策と市民の反応
敗戦直後の弘前市民
昭和天皇の来弘
二 軍都の払拭
敗戦時の郷土部隊
軍事色の払拭
軍国主義・国家主義の払拭
三 復員・引揚げ業務への対応
復員・引揚げ対策の開始
家庭に戻る女性たち
外地引揚者への援護策
ソ連からの引揚げ督促
在日朝鮮人問題
四 占領期の市政と生活
敗戦直後の市政事務
敗戦と文書焼却問題
食糧対策
五 復活する市民生活
環境整備と衛生対策
生活環境の整備
新警察制度の導入
福祉事業の推進
第二節 復興期の経済
一 戦後の復興と弘前の経済
戦後復興期の財政
終戦直後のりんご景気
青森県りんご協会の発足
りんご振興策
二 戦後の商工業
インフレの進行と低物価運動
経済九原則の実施、ドッジ・ラインと不況の到来
朝鮮戦争による特需と商店街
景気回復後の弘前市の商業
三 戦後復興期の工業
弘前市の工業振興政策
りんご加工業の発展
朝日シードルの進出
地場産業の諸相
四 弘前無尽会社から弘前相互銀行へ
相互銀行制度の創設
弘前無尽会社の相互銀行への転換
弘前相互銀行の躍進
五 電車の登場とバス事業の復興
本県初の鉄道電化
道路舗装の要求
運輸事業の申請
バス事業の復興・伸展
第三節 戦後弘前の農業展開
一 農村の民主化
農地改革と自作農創設
農業会の解体と農協の乱立
二 りんご産業の発展
りんごの唄と空前のりんご景気
りんご復興と澁川伝次郎
津軽の基幹作物-米とりんご
第四節 教育の変遷
一 六・三制実施後の初等教育
六・三制の実施と校名の改称
現職教員の市議当選
進駐軍の小学校視察
検定教科書の採用
県下最初の養護学級新設
盲聾学級の設置
女性校長第一号
桔梗野小学校の創立
週五日制の実施
時敏・朝陽校の火災と不寝番の実施
朝陽小学校校舎新築落成
弘前市教育委員会の発足
第一回小学校連合体育大会
二 新制中学校の誕生
新学制実施準備協議会
新制中学校の開校式
仮用附属と第四中学校
開校時の学習
高校進学の問題
職業指導
独立校舎への夢
出席率向上の努力
三 新制高等学校の発足
新制高校の発足
新制弘前高校の誕生
承祜公のミイラ
弘高祭とねぷた
めざましい部活動
弘高通信教育部の誕生
終戦直後の東奥義塾
弘前工業高校の動向
新制中央高校の誕生
男女共学の顛末
弘前聖愛高等学校の歩み
柴田女子高の活躍
市立商業高校と市立女子高校
禅林街・太平高等学校
四 大学の設置
新制大学の制度化
青森師範学校の弘前市移転承認
青森医学専門学校の弘前市移転
弘前大学設置認可申請
女子高等教育機関の整備
短期大学制度
東北女子短期大学の開学
弘前学院短期大学の開学
五 幼稚園教育
児能花幼稚園廃園と附属幼稚園
ベビー・ブームと幼稚園不足
文化幼稚園
柴田幼稚園
弘前明の星幼稚園
弘前市立和徳幼稚園の設置
若葉・愛光幼稚園の合併と聖愛幼稚園
若草幼稚園
弘前大谷幼稚園
東奥義塾幼稚園
みなみ幼稚園
ひばり幼稚園
幼稚園協会の設立
幼稚園の廃園
六 戦後の社会教育
社会教育研究大会
第二回社会教育大会
PTAの発足
子ども会の動向
学校給食とPTA
第五節 労働運動の再興と世相
一 インフレと生活防衛
終戦直後の食料事情
インフレとヤミ経済
二 弘南バス争議
労働組合と賃金闘争
昭和三十五年の弘南バス争議
ストライキの顛末
三 戦後のキリスト教
キリスト教の復興
弘前女学校のキリスト教
第六章 現代の弘前
第一節 市町村合併と「新弘前市」の誕生
一 紆余曲折した市町村合併
国や県の動向
中弘地区の合併推移
紆余曲折の合併交渉
岩木村の成立と飛び地の誕生
二 桜田市政と市町村合併
桜田市長リコール問題
桜田市政と合併対策
三 紛糾した石川町の合併
石川町の存在
混乱・混迷の合併交渉
波乱含みの合併成立
四 「新弘前市」の誕生
「新弘前市」の建設方針
合併建設計画への批判
市民の要望と行政の方向
五 学都創出への支援
弘前大学の誕生と市民の熱意
学都充実への要望
弘前大学後援会と農学部の新設
六 自衛隊誘致をめぐって
日本再軍備と自衛隊の誘致
誘致賛成論
誘致反対論
誘致の決定と市当局の動向
第二節 高度経済成長と弘前の経済
一 津軽地域の中核都市弘前の財政
藤森市政の財政
福士市政の財政
金澤市政の財政
二 高度成長下の商店街
高度成長の開始
弘前商工会の解散
旧正月売り出しの廃止
商店街振興組合法の成立
スーパーマーケットの登場
百貨店の増加
商業構成の変化
弘前市商業の特徴
三 高度経済成長下の工業
高度経済成長期の工業
金属団地の建設
弘前市の商工業行政の方向
四 中央資本のりんご加工業進出と工業振興政策
りんご加工業の推移
ニッカウヰスキーの進出
日魯漁業の進出
工業振興政策
五 みちのく銀行の誕生
弘前相互銀行と青南信用組合の合併
弘前相互銀行と青和銀行の合併
みちのく銀行の誕生
六 東北縦貫自動車道と東北新幹線
交通条件改善への取り組み
市街地の交通緩和対策
高速交通体系の整備
鉄道事業の消長
バス事業の拡張
弘西林道の開通
第三節 安定成長への転換
一 安定成長への転換と弘前市経済
高度経済成長の終焉
安定成長への転換
弘前市の事業所の動向
建設業の動向
製造業の動向
卸売・小売業、飲食店の事業所
卸売業の動向
小売業の動向
飲食業のあり方
サービス業の事業所
二 安定成長下での商店街の変化
相次ぐ水害と商店街
雪対策
駅ビルの建設
東北縦貫自動車道の全通
大型店舗の出店
消費税の導入
三 安定成長への転換と労働問題
安定成長下の労働問題
青森県の賃金動向
国鉄ストライキと市民
四 弘前商工会議所の活動
知事・市長への陳情
創立記念
五 交通・運輸の伸展と模索
鉄道の高速化
長距離バスと赤字路線
第四節 国際化・自由化と農業振興
一 高度経済成長と農村の変貌
弘前市の合併と農業
弘前市農協の合併
高度経済成長と出稼ぎ
農村社会の変貌と減反政策
二 国際化・自由化の流れの中で
山川市場とふじの登場
りんご産地市場の登場
台風一九号とりんご被害
りんごの自由化と産地の対応
米市場開放と平成の大凶作
国際化・自由化と農林業振興計画
第五節 教育の整備拡充
一 小学校教育
第三大成小学校の創設
和徳地区小学校統合問題
石川町、弘前へ合併
大和沢小学校の復校
弥生小学校の創設
高杉小学校の創設
文京小学校の創設
オリンピック聖火を迎える
草薙小学校大石寮の設置
学校給食中央共同調理場の設置
ことばの教室開設
きこえの教室設置
西小学校の創設
城西小学校情緒障害学級
第一大成小学校病弱児学級
松原小学校の創立
東小学校の創立
北小学校創立開校
第一、第二大成小学校の統合
二 中学校教育
十周年を迎えて
学校統合の推進
計画案の修正
第五中学校開校
統合計画の達成
北辰中学校の開校
裾野中学校の開校
南中学校の開校
東中学校の創立
三 高等学校の推移
(一)昭和後期の中等教育
弘前南高校の誕生
吹奏楽金賞が光る
弘前電波高校の開校
「弘前電波」から弘前東工業高校へ
ボクシング部の全国制覇
弘前実業高校の県立移管
スポーツ王国弘前実業
弘前高校の生徒自治会
部活動の推移
弘前中央高校の環境整備
金賞に輝く合唱
新生東奥義塾の躍進
スポーツ王国義塾
弘前聖愛高校の教育と移転
部活動の充実強化
弘前工業高校の変遷
輝く弘前工高のスポーツ
柴田女子高校の繁栄
クラブ活動の興隆
(二)平成の中等教育
昭和から平成へ
男女共学と週五日制
学科の再編
スポーツ・文化活動
四 私立大学の増設
東北女子大学の開学
弘前学院大学の開学
弘前福祉短期大学の開学
五 学園紛争と弘前大学の拡充
本部封鎖事件
保健体育単位問題
弘前大学の拡充
六 社会教育
市村合併と公民館
市村合併後のPTA
図書館の新築
最初の水泳プール
市民会館の設置
市民体育館の設置
運動公園の建設
博物館の設置
弘前文化センター(弘前文化会館)
新図書館の建設
郷土文学館
第六節 市民運動の展開
一 石油ショックと狂乱物価のころ
市役所のケチケチ運動
狂乱物価の諸相
石油危機の推移と高度成長の終焉
二 青秋林道反対運動
青秋林道建設計画
建設反対運動の機運
反対運動の展開
自然保護か活用か
三 公労協のスト権奪還ストと弘前
公共企業体とストライキ権
公労協ストの本県の情況
スト権ストと国民の評価
四 戦後から市制百周年までの津軽選出国会議員
第七章 都市計画と市民生活基盤の整備
第一節 開発計画の出発
一 総合開発計画の展開
総合国土開発審議会の発足
総合国土開発審議会の審議
国土総合開発の出発
二 青森県の開発計画
国土総合開発計画の進展と青森県の位置
第二節 弘前市の総合開発計画
一 弘前市建設計画
弘前市建設計画の出発
弘前市総合建設計画の策定
二 弘前市総合開発計画の策定
弘前市総合開発基本計画(昭和四十六年計画)の策定
弘前市総合開発計画(昭和五十三年計画)の策定
新弘前市総合開発計画(昭和五十九年計画)の策定
第四次弘前市総合開発計画の策定
平成十二年弘前市総合計画の策定
第三節 弘前市の都市計画
一 都市計画の推移
都市計画の開始
市街化区域と市街化調整区域
用途地域の設定
地区計画
二 道路の建設
幹線道路建設
生活道路の計画
平成の道路計画
都市計画と道路建設
三 上下水道の建設
上下水道の整備状況
上水道整備の方向
下水道の整備の方向
四 市街地開発事業
土地区画整理事業
弘前駅前地区整備事業
市街地再開発事業
第四節 観光都市をめざして
一 弘前観光協会の設立
戦後の世相と観光政策
弘前観光協会の設立
観光協会をめぐる紛糾
二 弘前市の観光事業
観光協会の事業計画
観桜会(さくらまつり)の運営方針
観桜会運営の打合会議
観桜会運営の一側面
三 観光都市実現への熱意
合併前後の観光対策
観光客受入態勢の必要性
土産品開発への模索
四 観光事業の開発と保存
弘前城の史跡指定
菊ともみじまつり
雪燈籠まつり
弘前ねぷたの重要無形文化財指定
弘前城内の植物園造営
五 市制施行百周年と弘前市の記憶
市制施行百周年
見直したい弘前市の記録
第五節 災害との闘い
一 岩木川の氾濫と大水害
岩木川の大氾濫
度重なる大水害
二 相次ぐ台風と大火災
台風災害
相次ぐ火災
三 災害と開発
市の防災・水防対策
岩木川開発と目屋ダムの建設
第六節 医学都市の衛生対策
一 衛生対策への着手
便利な生活の代償
「日本一の不潔な町」(新聞の投書から)
二 医学都市弘前の保健衛生
進駐軍の衛生対策
弘前大学医学部との関係
清掃事業の促進
弘前市の保健対策
三 上下水道施設の整備
市がもっとも力を注いだ水道行政
上水道設備の向上
下水道設備の向上
第八章 近現代弘前市の文化活動
第一節 文学活動
一 近代文学の夜明け(明治の文学)
(一)北の文学連峰
(二)明治言論界の巨星・陸 羯南
新聞「日本」を発行
在府町に生まれる
独立不羈の陸羯南
(三)佐藤紅緑の活躍
紅緑の少年時代
飛躍の年を迎える
(四)明治の短詩型文学
俳句会のリーダー木村横斜
発禁となった「渋茶」夏の号
荻原井泉水来弘す
新派歌集を出版
川村杜山の自殺
二 近代文学の成立(大正の文学)
(一)私小説の神様・葛西善蔵
善蔵と洋次郎
初めての出会い
突然の転任
(二)福士幸次郎の影響
(三)県内初の詩結社「パストラル詩社」
県詩壇の重鎮・一戸謙三
桜庭芳露の活躍
後藤健次の手紙
三 津軽の文学の新たな展開(昭和の文学)
(一)少年小説の金字塔をうち建てた佐藤紅緑
少年小説の金字塔
(二)方言詩の成立
方言詩集『まるめろ』
方言詩誌「芝生」創刊
(三)百万人の作家・石坂洋次郎
空前のベストセラー
虚弱な少年時代
「草を刈る娘」について
(四)その他の作家・編集者
四 北の文学連峰の現在
(一)不滅の作家・太宰治
(二)直木賞作家・今官一
今官一の文学の魅力
人生の師・福士幸次郎と出会う
同人誌時代-太宰治とともに
直木賞を受賞す
不当な評価を是正したい
故郷へ帰る
(三)北の文学連峰の現在
本格的な国際スパイ小説家
職業は寺山修司
新進気鋭の評論家
ルポライターの第一人者
(四)長部日出雄の活躍
津軽の精神風土を追究
第二節 美術界の様相
一 明治期の美術
国内外の博覧会
漆工芸と日本画
東京美術学校と弘前の作家たち
二 大正期の美術
文展と帝展
美術団体の発足と展開
工芸運動と版画
三 昭和期の美術(戦前)
東奥美術展
美術団体の躍進
四 昭和期の美術(戦後)
戦後美術界の復興
昭和の美術団体
個人作家の活躍
第三節 音楽界の様相
一 古典邦楽
郁田流箏曲(いくたりゅうそうきょく)
錦風流尺八(きんぷうりゅうしゃくはち)
平家琵琶
二 津軽神楽・山車行事
津軽神楽
山車行事
三 民俗芸能(無形民俗文化・年中行事)
イタコ
虫祭り
岩木山の登拝行事
ねぷた
獅子踊(舞)
四 民謡
民謡の種目と曲数
盆踊り
唄会
新民謡
わらべ歌
津軽三味線
五 洋楽・学校音楽・軍歌
学校における音楽
音楽教育の先達
軍歌
六 一般人の音楽
音楽家たち
音楽団休
第四節 近現代の建築
一 明治時代の洋風建築
洋風建築の黎明
弘前初の洋風建築
建築近代化への立ち後れ
棟梁・堀江佐吉
教会堂建築
学校建築・公共的建築
二 大正時代の近代建築
「建築家」の誕生
進取の建築
洋風建築から近代建築へ
三 昭和期の建築
木村産業研究所
弘前との因縁
前川設計建築群
第五節 スポーツ活動
一 近代スポーツの成立(明治・大正期)
(一)近代スポーツと弘前
草創期のスポーツ
(二)町道場の設立
明治時代の柔術
北辰堂規則
笹森順造の偉業
撃剣家・市川宇門
(三)柔道家・前田光世
柔道で世界を制覇した男
ブラジル開拓の父
前田光世の記録
(四)スキー王国
本県スキーの父・油川貞策
弘前スキー倶楽部誕生と歴史
(五)野球
(六)相撲
二 現代のスポーツの繁栄(昭和期)
(一)国際競技での活躍
極東大会陸上競技で優勝・道川茂作
第九回夏季オリンピック・アムステルダム大会出場・井沼清七
冬季オリンピックへ出場
夏季オリンピック
国際試合で活躍
三浦雄一郎の活躍
(二)相撲王国
(三)スポーツの意味するもの
第六節 特色ある文化活動
一 弘前地方の書道
書の伝統
北門書道会の結成
戦争を挟んで
北門を継ぐ
二 相馬貞三と民芸運動
用の美と津軽民芸
三 古式泳法と津軽藩踏水会
津軽藩踏水会
[後付]
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