健民運動と女性問題

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健民運動に関しては近年顕著な動きを示している女性史学の成果を見逃すわけにはいかない。青森県でもすでに青森県女性史編さん委員会の編集により、平成十一年(一九九九)三月二十五日付で『青森県女性史 あゆみとくらし』を刊行している。健民運動は女性の役割が非常に重要だった。ここでは健民運動に関し女性問題を中心に述べていきたい。
 多産政策で子供を作ることを強要されながらも、凶作・恐慌期には産児制限を望み実行に移す女性たちは多かった。とくに東北地方の農山村部では多産による家庭の貧窮が著しく、産児制限は重要な問題であった。ところが当時、堕胎や産児制限などは風俗壊乱罪に問われる問題であり、新聞掲載も発禁事項として扱われていた。
 戦前までの女性は、一方で良妻賢母の道を婦人道徳の基本として教育されたが、性教育は十分になされなかった。そのため女性雑誌が性の問題を掲載して、女性への便宜をはかっていた。ところが健民運動の進展とともに、良妻賢母と多産政策は督促されたが、性教育に関する問題は雑誌から閉め出されるようになっていった。それを端的に示しているのが、風俗壊乱との名目から打ち出された女性雑誌の取締政策である。一方で女性に子供を産むよう強制しながら、性教育や子供を産む女性の知識として必要な広告記事などを活字文化から閉め出す政策をとったのである。恐慌・凶作で家庭生活を送れず、避妊と産児制限を求める女性たちにとって、一方で堕胎などの行為を禁じられ、他方で正当な知識を得るための性教育広告も奪われることになったのである(詳細については、三鬼浩子「女性雑誌における売薬広告」『メディア史研究』第一三号、二〇〇三年を参照)。
 健民運動が多産政策である以上、健康な子供を産み育てることが、女性の価値や人格を賞する傾向を生み出した。反面それは子供が産めない女性や、産もうとしない女性、また産める年齢を過ぎた女性たちを冷遇する傾向を強めよう。となると当然、女性同士の区別・差別が重要な鍵となる。健民運動は確かに表面的には国民の健康維持を重視し、体力増強を意図するという健全な政策に見えた。しかしそれが戦場へ人間を動員するシステムである以上、人間同士の差別を生み出し、人間を物扱いする傾向を強めることになるのである。