弘電の反攻

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会社側では、業界団体「電気協会」の応援を受け、逆宣伝を行い、特に弘前では露骨な分裂、中傷策を弄した。警察も無産勢力の拡大を警戒して干渉弾圧の姿勢で臨んだ。五年十二月十三日、黒石同盟会は商工会系幹部と弘電会社の取引によって解散、以後闘いは弘前同盟会と藤崎同盟会が中心になり、断線・接線の実力行使、そして法廷闘争と熾(し)烈なものになった。同盟側は、左翼弁護士として有名な布施辰治に弁護を依頼した。布施は、弘前での法廷戦術は、全国で見られる電灯争議はもとより、ほかに借地借家・借金問題その他広く小市民的要求の貫徹運動に役立つとして、秘術を尽くして戦った。
 会社は、一月十九日から断線を土手町・和徳町・代官町の一七〇戸に行ったが、暗黒になるはずの町並みに相変わらぬ電灯がこうこうと照り映えていた。同盟側が技術者に依頼して接線したからで、工夫が再び現場に行っても、営業妨害、家宅侵入と言われて手が出せなかった。中には、カフェーなど、ランプで減灯記念と称してムード演出、繁盛する店まで出た。

写真91 弘前電灯株式会社