戦後はモータリゼーションの進展により、道路整備、とりわけ道路舗装の要求が高まった。弘前市と青森市を結ぶ国道五号線(現国道七号)は戦前からその重要性が認識され、昭和七年から内務省の直轄工事として施工し、昭和十五年までに全線の半分以上の舗装が進んだが、戦争のために工事は打ち切りとなっていた。そこで昭和二十四年に、青森市や弘前市のほか沿線自治体の首長らが舗装完成促進についての請願運動に乗り出した(同前No.四〇八)。また、市内においては悪路による大きな事故がたて続けに発生していることから、昭和二十五年には弘前交通安全協会長(弘前自動車連合会長ならびに弘前自動車運転者会長兼任)が弘前市議会に対して道路補修に関する陳情を行っている(同前No.四〇九)。