(六)相撲

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 青森県が現在も含めて相撲王国であることに、だれも異論を唱えないであろう。その中でも津軽地方が名力士を数多く角界に送り出してきたことも等しく認めるところであると思う。
 その中の一人に、明治期に大関を張った名力士一ノ矢藤太郎(いちのやとうたろう)がいる。一ノ矢は相撲王国青森の基礎を築いた大関であるとの高い評価を得ている。当時としては異例のスピード出世をなしており、その強さには誰もが舌を巻いたという。
 さらに、性格が実に清廉潔白であったことが、人気に拍車を掛(か)けたようである。
性質温良にして愛嬌者と人に知られたる力士一ノ矢は、本年の大番附に大関の地位を占めたるが、元ハ本県下南津軽郡前田屋敷村(現田舎館村)の出身にして、幼時より力量群量に勝れ、八、九歳の頃より五斗俵を何の苦もなく肩にし持ち運びたりとのことにて、(中略)東京に出で高砂浦五郎(たかさごうらごろう)の門弟となり、僅の二、三年にして幕相撲に昇進せり、当時其の進歩の速やかなりしを賞賛されしに、今度は大関となりしが、実に本人の名誉のみならず津軽男児の栄といふべし
(「明治の名大関・一の矢」、資料近・現代1No.七七九)


写真308 一ノ矢藤太郎