この「資料編」は、弘前市域とそれを取り巻く地域(以下弘前地域と便宜上呼ぶ)に分布する地質系統に関する地球科学的諸資料を整理・分類したもので、「通史編」の基礎資料となるものである。
わが国に近代科学が導入されてまもないころ、 E.Naumann が明治政府に招かれて全国的な地質調査事業を開始し、明治14年(1881)には、西目屋村にあった尾太鉱山を訪れている。明治38年(1905)、八谷彪一は震災予防調査の一環として岩木火山についての報告書を公表している。また、明治43年(1910)ころには大築洋之助らによって札幌・大阪・高田などとともに、弘前においても都市地域を対象とした水文地質学的調査が行われた。このように、弘前地域では、比較的早い時期から近代地質学に基づいた地質調査が開始され、以来100年以上経過している。この間、津軽地域においては、特に石油探査や金属資源探査を目的とした地質調査が次々と実施され、地質構造が明らかとなるにつれ、層序がしだいに詳しく編まれるようになった。弘前地域における地質学的資料の蓄積は膨大なものとなるが、昭和45年(1970)代以降プレートテクトニクス*1に代表される地球観、さらに昭和55年(1980)代後半からシーケンス層序学*2の概念が普及し始めた結果、従前の資料はそれらの観点に立って見直す時期にきている。
本章では、はじめに地形及び地質を理解する上で最も基本的な弘前地域で使用されてきた各地層、及びそれに関連した地球科学的な基本用語について解説する。次に、地層の年代・温泉の位置及び深度・文献リストなどについて表示した。最後に、日本海の拡大、そしてその直後に起きた応力場の転換(インバージョンテクトニクス*3)に立脚した島弧や平野の形成史を古地理図の形にして紹介する。
本章を作成するに当たって、弘前大学教授塩原鉄郎氏、元八戸高等学校教諭松山力氏、尾上中学校教諭菊池正司氏、元八戸北高等学校教諭七崎修氏から種々ご教示とご協力をいただいた。ここに厚く御礼を申し上げる。