第1節 地質の概要

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 弘前地域における最も古い地層は、大和沢川上流から西股山にかけて分布するチャートや粘板岩類である。これらの岩石は、先新第三系*4(大沢,1962)や、先第三系基盤岩類(北村ほか,1972)などの名称で呼ばれ、その変形様式や岩相*5の類似性から、北上山地北部に分布するペルム紀(二畳紀)の堆積物と対比されてきた。最近、北上山地北部に露出するペルム系とされてきたものは、海洋プレート上に堆積した遠洋性堆積物や海山から成るもので、プレートに乗って運ばれ、ジュラ紀後期から白亜紀前期ころに、アジア大陸東縁にあった海溝で陸側に付け加わってできた堆積体(付加体)と見なされるようになった。したがって、西股山付近に分布する先第三系も同時期に形成された付加体の一部と位置づけられる。
 白亜紀前期以後、古第三紀までの地史(約1億2000万年前から約2000万年前)については地質系統が欠除しているため、どのような状況にあったのかを判断する資料がない。しかし、本州弧における新第三紀以降の地層については、最初アジア大陸東部に生じた引張テクトニクス*6の場から、反対の圧縮テクトニクス*7の支配する応力場へと変化した時期に形成された地層と見なされている。新第三紀中新世初期には現在の本州弧に相当する部分は、火成活動の活発なアジア大陸東縁の火山列(陸弧)を成していた。当然のことながら、当時日本海はまだ形成されていなかった。その後、この火山列は活動を繰り返しながらしだいに東方へ移動することによって、アジア大陸東縁の東方海上に火山列を載せた島弧となり、日本海を内側に擁した現在の日本列島が完成したのである。つまり、引張テクトニクスの下で日本海が誕生し、火山弧が成熟した後に応力場が逆転した結果、日本海側の平野や盆地が形成されるに至った。弘前を含めた津軽地域に見られる新第三系は、構造的枠組みから見ると、当時の背弧海盆(はいこかいぼん)*8の位置に形成された地層群である。
 現在の日本列島、特に東北日本の原形が形成されたのは、中新世以降にアジア大陸部に起きたテクトニクスの転換(インバージョンテクトニクス)という一連の出来事としてとらえることができる。本州弧の東方への移動の時期や、その運動像の詳細については諸説あるが、次のような地球科学的手法によってたどることができる。
 古地磁気学的資料は、背弧海盆が前期中新世から中期中新世に急激に拡大したために、本州島が中央部付近から折れ曲がり、弧状列島が形成されたことを示唆している。この折れ曲がりは、西南日本が時計回りに45度、これに対して東北日本が反時計回りに25度回転したことによるものと説明されている。この時の移動速度については、古地磁気学的資料からの推定では極めて短時間での拡大・移動を示しているが、日本海の海底堆積物のボーリング資料による結果と異なるため、引き続き検討が行われている。中期中新世の東北日本弧における火山活動は、西側には玄武岩が、東側には流紋岩類に代表される酸性火山岩が分布し、性格の異なる二列の火成活動に分かれていたことが指摘されている(今田,1974;など)。後期中新世に入ると、東北日本にはしだいに東西性の圧縮力が働き、各地で南北性の逆断層や褶曲が発達し、今日の脊梁(せきりょう)山脈に当たる部分の隆起が始まった。また、後期中新世から鮮新世(約1000万年前-180万年前)にかけては、その隆起部にカルデラが形成された。黒石東部の沖浦カルデラや弘前南東部の碇ヶ関カルデラなどがそれに当たり、十和田カルデラよりやや大きいと推定されている。後期鮮新世になるとさらに圧縮傾向が強まり、脊梁部の隆起が著しくなって山脈を形成し、更新世に入るとその前縁部の窪(くぼ)地に当たる津軽平野の埋積が始まった。このような時代ごとの古応力場(こおうりょくば)は、岩脈や鉱脈などの方向性を年代順に解析することによって復元されている。
 東北日本弧の火山活動史や構造発達史が、以前に比べてより高い精度で編めるようになったのは、分析機器の進歩もさることながら、K-Ar法やフィッショントラック法などによる年代測定の資料が飛躍的に増加したことや、日本海の海底堆積物から、より連続した年代資料が得られたことなどによるものである。テクトニクスや火山活動史のほかに、拡大しつつある日本海で起きた地質事変についても分かってきた。例えば、中期中新世には現在よりも気温の高い時期が出現し(熱帯海中気候事変)、熱帯地方に特有のマングローブ林が富山県付近まで北上していたことが確認されている。一方、その直後には、急激な寒冷化が生じたことも推定されている。このような気候や水温の変化は、陸上の植物化石のほかに、有孔虫や珪藻などの微化石を研究することにより得られる。
 弘前地域の地質は、東北地方グリーンタフ地域*9特有の第三系及び第四系と、岩木火山・十和田火山噴出物から成る。最下位の藤倉川層は、安山岩(一部は玄武岩)から成り、著しく変質している。その後の研究(大沢ほか,1983)から漸新世(ぜんしんせい)と考えられ、秋田県男鹿半島の西男鹿層群(赤島層相当部を除く)にほぼ対比され、陸成層であることが明らかになった。その上位の黒石沢層は、安山岩を主とし、砕屑岩を挟んでいる。本層から、阿仁合型植物化石*10や台島型植物化石*11を多産する。阿仁合型植物化石は、本層最下部から産する。台島型植物化石は、本層の最下部から最上部までの泥岩から産する(図1)。

図1 弘前地域の新第三系の地質図(生出・中川・蟹沢,1989,より転載)

 津軽平野は、第四紀に入ってまもなく開始した広域的な東西圧縮応力による褶曲運動によって形成された堆積盆であって、五所川原砂礫層及び十三湖層によって埋積されている(図2)。これに対応する背斜部が平野両翼にあり、西方は屏風山の丘陵地を、東方は津軽山地を形成している(小貫ほか,1963;箕浦,1990)。

図2 津軽平野模式断面図 A:山田野層、B:高根礫層、C:出来島層、D:砂丘、YT:山田野段丘、TT:高根段丘、DT:出来島段丘(箕浦・中谷,1990,より転載)

 東北日本弧に分布する第四紀火山は、従来、那須帯と鳥海帯に二分されていたが、高橋・藤縄(1983)、中川ほか(1986)は、地質学的・岩石学的特徴から、太平洋側から順に、青麻-恐火山列・脊梁火山列・森吉火山列・鳥海火山列の4岩石区に分帯している(図3)。森吉火山列に属する岩木火山は、津軽平野南西縁に位置する東西約12km、南北約13kmの円錐形を呈する成層火山である。岩木火山の周辺地域は、顕著な断層・褶曲構造がなく、新第三系が全体として北東方へ緩傾斜する単斜構造を示し、大局的には、津軽平野の沈降と白神山地の隆起に伴う傾動地塊*12の翼に相当するものと考えられている。山頂部には直径数百mの小火口を有し、その中に中央火口丘(標高1,625m)が存在する。山腹には爆裂火口跡が十数か所認められる。山体を構成する溶岩は主にカンラン石を含む輝石安山岩から、中央火口丘は石英安山岩から成る。更新世中期ころに、現火山体の中心付近で大量の火砕物の放出及び安山岩質溶岩の流出によって活動が開始し、現火山体よりもやや大型の成層火山を形成したものと考えられる。この古岩木火山は山麓に存在する環状断層群によって相対的に沈降し、その山体部が現火山体の内部に埋没していると解されている。その後、現火山体の浸食によって特に東半麓には火山麓扇状地が形成された(鈴木,1972)。

図3 東北日本弧第四紀火山の帯状配列(中川・霜鳥・吉田,1986,より転載)

 脊梁火山列に属する八甲田火山は、青森市南方約30kmにあり、八甲田大岳(1,585m)を最高峰とする複数の成層火山体と溶岩円頂丘から成る。その活動史は、成層火山群の形成とその崩壊後における南八甲田火山群・外輪山溶岩の噴出(第1期)、田代平溶結凝灰岩の噴出と八甲田カルデラの形成(第2期)、そして後カルデラ火口丘*13群である北八甲田火山群の噴出(第3期)に区分される(生出ほか,1989)。また、同属の十和田火山は、周囲に標高約1,000~1,160mの外輪山を有する十和田カルデラとその南半部に内接する中湖から成る。基盤は、新第三系及び第四系の田代平溶結凝灰岩などから成る(生出ほか,1989)。なお、十和田火山及び八甲田火山起源の火砕流堆積物の一部が津軽平野へ流下し堆積しているのが確認されている(中川ほか,1972;長谷,1989;山口,1993)。
 最後に、本概要及び地質系統一覧での用語の解説に当っては、「地学事典」(平凡社刊)、Glossary of Geology (AMERICAN GEOLOGICAL INSTITUTE) を参考にした。