(2)縄文時代早期

87 ~ 90 / 649ページ
 青森県のみならず、東北地方北部の縄文時代早期の土器は、昭和26年(1951)の八戸市鮫町にある白浜*16・小舟渡平(こみなとたい)両遺跡*17、並びに昭和29年(1954)とその翌年に調査された同市新井田の館平遺跡*18から出土の貝殻文土器が最古とされる。その後引き続き、八戸市から下北半島に至る太平洋側において後続する貝殻文土器が発見された。これらは、江坂輝彌により、貝殻腹縁文(かいがらふくえんもん)土器文化、または類似の土器を出土する北の北海道函館市の住吉町遺跡と、南は神奈川県横須賀市の田戸遺跡の名を取り、田戸住吉町系土器文化と名付けられ*19、本州の太平洋側に広く分布する特徴ある土器文化と考えられた。これに対し、小川原湖周辺の同期に関する土器文化の研究を志していた佐藤達夫は、三沢市の早稲田貝塚や六ヶ所村の唐貝地貝塚等を調査し、貝殻文から条痕文(じょうこんもん)に至る土器を、唐貝地下層式から早稲田1類を経て同6類に達する詳細な土器編年を組み立て、江坂の確立した早期の土器編年はもとより、東北地方南部・関東地方・北海道とも対比させて、縄文時代早期における編年的位置付けを図った*20

図3 縄文時代早期の土器(1)
白浜式尖底深鉢形土器…
八戸市・館平遺跡(江坂輝彌氏提供)

 一方、名久井文明は、昭和46年(1971)に三戸町川守田に所在する寺ノ沢遺跡において、南部浮石(通称ゴロタ)の直下から、貝殻腹縁と刺突(しとつ)及び沈線を組み合わせた土器を発見し、寺ノ沢式土器と名付けて編年的位置を白浜・小舟渡平式土器に後続するとした*21。縄文時代早期については、その後、県立郷土館による東通村下田代納屋B遺跡*22、県教育委員会文化課並びに昭和55年(1980)設置の県埋蔵文化財調査センターによる八戸市長七谷地貝塚*23・同市売場遺跡*24・六ヶ所村千歳遺跡(13)*25・同村表館遺跡*26等々の発掘調査が行われ、表2に示したような土器編年が確立されている*27。なお、早期初頭として設定されていた日計(ひばかり)式土器(押型文土器)は、昭和32年(1957)の調査当時、早期末のムシリⅡ式ないしは前期初頭のムシリⅢ式に伴うものとの見解が出されていた*28。ところが、昭和39年(1964)における岩手県気仙郡住田町の蛇王洞洞穴遺跡調査で、下層の第Ⅵ層から関東地方の三戸式、青森県の小舟渡平式に共通の文様を持つ土器(蛇王洞Ⅱ式)が出土し、最下層の第Ⅶ層では、縄文施文土器・無文土器に伴って押型文土器が発見された。このため、押型文土器は、本県の早期初頭に位置付けられていた白浜・小舟渡平式土器よりも、古い時期のものであることが判明したのである*29
表2 青森県出土土器編年表
時代型式名
縄文時代草創期(無文土器)
(隆線文系土器)
(爪形文系土器)
早期日計
白浜,小舟渡平
根井沼
寺の沢
物見台,千歳
蛍沢AⅡ式
吹切沢,早稲田1・2類
ムシリⅠ式
表館Ⅵ群
赤御堂
早稲田5類
表館Ⅸ群
前期表館Ⅹ群
表館ⅩⅡ群
表館ⅩⅢ群
長七谷地Ⅲ群
表館,芦野Ⅰ
早稲田6類
深郷田
円筒下層a
円筒下層b
円筒下層c
円筒下層d1
円筒下層d2
中期円筒上層a
円筒上層b
円筒上層c
円筒上層d
円筒上層e
榎林
最花,中の平Ⅲ
大木10
 
時代型式名
縄文時代
つづき
後期牛ヶ沢
沖附
弥栄平
十腰内Ⅰ
十腰内Ⅱ
十腰内Ⅲ
十腰内Ⅳ
十腰内Ⅴ
十腰内Ⅵ
晩期大洞B
大洞BC
大洞C1
大洞C2
大洞A
大洞A’
弥生時代前期砂沢
五所,二枚橋
中期宇鉄Ⅱ,井沢
田舎館
後期念仏間
天王山(鳥海山)
古墳時代前期(塩釜)4C代
中期(南小泉Ⅱ)5C代
(住社)6C代
後期(栗囲)7C代
古代飛鳥
奈良
8C代
(国分寺下層)
平安9C代
(表杉ノ入)10C代
11C代
12C代
(青森県埋蔵文化財調査センター作成)


白浜式尖底深鉢形土器…
六ヶ所村・千歳(13)遺跡
(県埋蔵文化財調査センター蔵)


白浜式尖底深鉢形土器…
六ヶ所村・千歳(13)遺跡
(県埋蔵文化財調査センター蔵)


寺ノ沢式尖底深鉢形土器…
六ヶ所村・千歳(13)遺跡
(県埋蔵文化財調査センター蔵)


物見台式尖底深鉢形土器…
六ヶ所村・千歳(13)遺跡
(県埋蔵文化財調査センター蔵)


図4 縄文時代早期の土器(2)
吹切沢式尖底深鉢形土器…
東通村・下田代納屋B遺跡
(青森県立郷土館蔵)


赤御堂式尖底深鉢形土器…
八戸市・長七谷地貝塚
(八戸市博物館蔵)


(仮称)館前式尖底深鉢形土器…
名川町・野目遺跡
(青森県立郷土館提供)


形式不明尖底土器破片…
弘前市・大沢出土