(6)縄文時代晩期

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 後期を引き継いだ晩期は、亀ヶ岡式土器の盛行した時代である。しかし、亀ヶ岡遺跡並びに同式土器は、発見が江戸時代にさかのぼるほど古いにもかかわらず、山内清男は、出土土器の出土層による対比、整理分類、並びに文様等の形式学的方法を背景とした編年的研究を岩手県大船渡市赤崎町の大洞貝塚を中心に行い、出土地点の名を冠して、古い形式から大洞B式→大洞BC式→大洞C1式→大洞C2式→大洞A式→大洞A’式なる6形式を設定したのである*55。その後、大和久震平は山内清男の教示を得て、昭和30年(1955)10月の秋田県能代市柏子所(かしこどころ)貝塚の調査で出土した土器を、特に晩期前半期の土器に対し、大洞B旧→大洞B新→大洞BC旧→大洞BC新→(以下はさきに設定の形式と同じ)のような形式の設定と変遷を、同貝塚の報告書で発表した結果、従来よりも2形式増え8形式となった*56
 芹澤長介は、昭和28年(1953)に発掘した岩手県二戸市(当時は二戸郡金田一村)舌崎にある雨滝遺跡の成果を基に、大洞BとBC式は同一層内から発見されるという事実をとらえ、この両形式土器に雨滝式という名を与えて、第Ⅰ期(雨滝期)→第Ⅱ期(大洞C1期)→第Ⅲ期(大洞C2期)→第Ⅳ期(大洞A期)→第Ⅴ期(大洞A’期・砂沢期)の変遷を『石器時代の日本』で発表した*57。またその後、山内は大洞B・BC・Aの各式土器を二分する9形式を考慮していたといわれる*58。しかし、なお多くの研究者は6形式分類を用いている。
 これら大洞各形式の土器は、それぞれの形式の特徴として、山内により当初提示された鉢形土器の口頸部と、胴部文様に関する模式図をテキストに、それらと対比させながら時期決定を行ってきた。その特徴的な主文様と器形は、精製土器を通して表すと表3のようになる。
表3 亀ヶ岡精製土器の器形と文様
時代分期土器形式文様(装飾を含む)器形
口縁部文様帯頸部文様帯胴部文様帯
(上半)(下半)
縄文晩期前半期前葉大洞B式平行沈線

三叉状入組文

平行沈線
平行沈線

三叉状入組文

斜縄文
壺形,深鉢形,台付深鉢形,盤形
浅鉢形,台付浅鉢形,甕形,注口土器
鉢形,台付鉢形,皿形
大洞BC式
平行沈線
刻目または列点文
羊歯状文
巴状文
半円文
弧状文
X字状文
K字状文
平行沈線
刻目または列点文
羊歯状文
巴状文

斜縄文
羊歯状文
壺形,台付鉢形,注口土器
浅鉢形,台付深鉢形,香炉形
鉢形,甕形
深鉢形,皿形
台付浅鉢形,盤形
唐草風入組文
中葉大洞C1平行沈線
刻目または列点文
平行沈線
羊歯状文
磨消縄文壺形,深鉢形,台付深鉢形,片口形
浅鉢形,台付浅鉢形,甕形,注口土器
鉢形,台付鉢形,皿形,香炉形
K字状文・X字状文・大腿骨状文(雲形文)
後半期大洞C2平行沈線平行沈線
X字状文
工字文
連繋入組文
平行沈線,長円形文
X字状文,Z字状文
弧状文,磨消縄文
3条の縦位沈線
壺形,台付浅鉢形,皿形
浅鉢形,台付鉢形,片口形
鉢形,台付深鉢形,注口土器
深鉢形,甕形,香炉形
後葉大洞A式平行沈線
刻目
工字文
平行沈線
工字文
矢羽状(杉綾状)文
刺突文
斜縄文
磨消縄文
縦位縄文
壺形,台付浅鉢形,皿形
浅鉢形,台付鉢形,注口土器
鉢形,台付深鉢形,
深鉢形,甕形,
大洞A’式
平行沈線
工字文
平行沈線
変形工字文
三角状沈線
粘土粒
斜縄文
磨消縄文
縦位縄文
刺突文
壺形,台付浅鉢形
浅鉢形,台付鉢形
鉢形,台付深鉢形
深鉢形,甕形

 これら大洞式(以下亀ヶ岡式の名を用いる)土器は、特に精製土器において製作の際に粘土を選び、器面を丹念に磨き、ていねいな文様を施し、中には漆または丹漆を塗るなど、その技術と美しさは他の土器の追従を許さぬほどすばらしいものである。亀ヶ岡文化圏の人々はもとより、その圏外に居た人々もこの土器に対し憧憬の念を抱いていたことであろう。永峯光一は、亀ヶ岡式土器を搬入品として受け入れ愛玩した地域(A伝播圏)のほかに、入手することが困難なために形状や文様を模倣して製作した遠隔の地域(B伝播圏)とに分けられるとした。A伝播圏は、関東地方から新潟県の西部を結ぶ線から西へ向い、静岡県の大井川辺りから日本海側の福井県九頭竜(くずりゅう)川河口付近を結ぶ線までの範囲であり、B伝播圏はそれ以西の東海地方西半から近畿地方の中で亀ヶ岡式土器を出土する地域と設定した*59
 現在、亀ヶ岡式土器の分布する範囲は、時期(土器形式)によって異なる。野村崇の分類によると、北の場合は、第Ⅰ期(大洞B・BC式土器期)が北海道渡島半島の西南端と石狩勇払低地帯付近に存在し、第Ⅱ期(大洞C1式土器期)は奥地へ進出して小樽市郊外の余市町から石狩低地帯の東側を通って苫小牧を結ぶ線まで、第Ⅲ期(大洞C2式土器期)は、小樽市から南の室蘭市を結ぶ線まで達し、第Ⅳ期(大洞A式土器期)は、遠く宗谷岬の稚内市大岬オニキリベツから、東は釧路市の緑ヶ岡遺跡になるとされている*60。逆に南の場合は、前述した模倣品が近畿地方の各地で出土しており、その伝播の先端は、和歌山県の日高川流域にある川辺町の和佐遺跡A地点*61と、兵庫県神戸市灘区の篠原B遺跡(篠原仲町遺跡)*62である。これらの土器は、坪井清足が指摘しているように、伝播した亀ヶ岡式の中でも前半期のもので、大洞BC式風の土器が多く、下限は大洞C1式風(類似)土器であり、それ以降のものは近畿地方には伝わっていないらしい*63。我が国の縄文土器の中で、たとえ模倣品ではあってもこれほど広範囲に伝播した土器はないであろう。関東地方は晩期前半において安行式(Ⅲa~Ⅲc式)土器が多く、北関東においては安行式に亀ヶ岡式土器の一部(大洞C1式)が混在する程度であり、終末期に近づいて東北地方の工字文的なモチーフを持った浮線文(浮線網状文(ふせんあみじょうもん))土器が流行するようである。

図11 縄文時代晩期の土器(1)
十腰内第Ⅵ式土器(大洞B式)…
木造町・亀ヶ岡遺跡(個人蔵)


大洞B式注口土器…
岩手県二戸市・舌崎遺跡
(青森県立郷土館蔵)


大洞BC式注口土器…
青森市・宮田(長森)遺跡
(青森県立郷土館蔵)


大洞B式浅鉢形土器…
尾上町・八幡崎遺跡
(尾上町教育委員会蔵)


大洞BC式注口土器…
弘前市・十腰内遺跡
(旧カメコ山)(東北大学蔵)


大洞BC式広口壺形土器…
尾上町・八幡崎遺跡
(尾上町教育委員会蔵)


大洞BC式浅鉢形土器底面…
尾上町・八幡崎遺跡(尾上町教育委員会蔵)


図12 縄文時代晩期の土器(2)
大洞C1式香炉形土器…
木造町・亀ヶ岡遺跡
(青森県立郷土館提供)


大洞C1式浅鉢形土器…
木造町・亀ヶ岡遺跡
(木造町カルコ提供)


大洞C1式浅鉢形土器…
尾上町・八幡崎遺跡
(尾上町教育委員会蔵)


大洞C1式鉢形土器…
弘前市・十腰内遺跡
(旧カメコ山)(東北大学蔵)


大洞C1式壺形土器…
弘前市・十腰内遺跡
(旧カメコ山)(東北大学蔵)


大洞C1式広口壺形土器…
弘前市・十腰内遺跡
(旧カメコ山)(東北大学蔵)


大洞C1式注口土器…
弘前市・十腰内遺跡
(旧カメコ山)
(東北大学蔵)


大洞C1式壺形土器…
弘前市・十腰内遺跡(旧カメコ山)
(東北大学蔵)


図13 縄文時代晩期の土器(3)
鬲状三足土器大洞C2式土器…
平舘村・今津遺跡
(県埋蔵文化財調査センター蔵)


大洞C2式壺形土器…
木造町・亀ヶ岡遺跡
(弘前大学蔵)


大洞C2式壺形土器…
弘前市・十面沢遺跡


大洞A式壺形土器…
三戸町・松原遺跡
(青森県立郷土館蔵)


大洞A式短頸壺形土器…
岩木町・薬師Ⅱ号遺跡


大洞A’式壺形土器…
鰺ヶ沢町・大曲Ⅲ号遺跡