(5)骨角牙器(こっかくがき)

119 ~ 124 / 649ページ
 縄文人にとっては、生業の中でも鳥獣類を相手とした狩猟が、重労働ではあったにしても、また必要な蛋白源を得る手段として欠くことのできない作業でもあった。彼らは、捕まえた動物類を余すところなく利用し生活に役立てており、毛皮は衣類・敷物または履物に、肉や内臓は食用とし、最後に残った骨角牙は各種の道具の原材に活用したのである。この原材を基に作り出された道具類を骨角器という。
 これら骨角器は、機能及び用途を中心に見ると、生業を背景とする生産用具(漁労に使われた釣針・銛(もり)など)の漁具、生活必需品としての器具(針・箆など)、装身具(ヘアーピン・飾櫛・耳飾等)などに分けられる。
 漁具は、骨角製の銛と簎(やす)並びに角製鏃・尖頭器・釣針がある。本県における骨角製漁具の出現は、貝塚が造営される赤御堂式土器期以後であり、その赤御堂貝塚(八戸市十日市=早期)では銛が*91、同時期の長七谷地貝塚(八戸市市川町=早期)では、組み合わせ釣針やアカエイの尾棘を利用した簎が出土している*92。尾棘簎は、このほかに是川一王寺遺跡(八戸市是川=前期)*93、並びに二ツ森貝塚(上北郡天間林村=前期)*94でも発見されている。先端を鋭く尖らせた尖頭器は、唐貝地貝塚(上北郡六ヶ所村=早期)*95・最花貝塚(むつ市田名部=中期)*96・亀ヶ岡遺跡(西津軽郡木造町=晩期)*97・平虚空蔵貝塚(三戸郡名川町=晩期)*98・大浦貝塚(青森市野内=晩期)*99などで出土している、釣針は前述の長七谷地貝塚・一王寺遺跡・二ツ森・最花・亀ヶ岡・大浦等*100の貝塚のほかに、白座遺跡(三戸郡階上町=前期)*101・三内丸山(Ⅱ)遺跡(青森市三内=前期)*102でも発見されている。これらの漁具製作に使われた原材は、シカの角が多く用いられ、シカ・イノシシの骨も利用されている。
 生活必需品的器具としては針がある。針孔の無いものと針孔を有するものとが見られ、前者は編物ないしは刺突具として、針孔を持つものは縫物用であったろう。早期以後の各貝塚で出土している。また骨製箆は、前期のころより出現しており、土器の器面整形並びに文様の施文具等の用具であったと思われる。ほかに、ドウマンチャ貝塚(下北郡大間町=晩期)出土のシカの角を利用した鹿角匕(こっかくひ)、クジラの骨を使った骨斧(同貝塚)なども発見されている*103
 装身具、身を飾るための骨角牙製装身具としては、髪止めあるいは髪飾りであったヘアーピンが赤御堂・長七谷地・白座・平虚空蔵の各遺跡・貝塚から*104、シカの角を利用した竪櫛が一王寺・石神遺跡(西津軽郡森田村=前・中期)*105において、シカの肩甲骨を利用した飾櫛が二ツ森貝塚で出土している*106。なお二ツ森貝塚では、シカの角又部を利用した有孔装身具・猪牙(ちょが)製の牙針・鯨骨製の青竜刀型骨製品(これらは県重宝)*107骨製ペンダント・動物の犬歯を使った牙玉、ドウマンチャ貝塚では猪牙製腕飾り*108・サメの脊椎骨を利用した耳飾りなどもある*109。なお前述の白座遺跡でも、同様の耳飾りが多数出土している。さらに加えると、半截された猪牙製の垂飾品が、薬師前遺跡(三戸郡倉石村=後期)*110と前ノ沢遺跡(三戸郡名川町=晩期)において、甕棺内から人骨とともに発見されている*111。なお薬師前遺跡では、猪牙製垂飾品に共伴して、遺体の腕に装着した状態のままでベンケイガイ製腕輪(ブレスレット)が14個ほど出土しており*112、二ツ森貝塚においてはアカガイ製、ドウマンチャ貝塚ではベンケイガイとアカガイ製、最花貝塚ではベンケイガイ製の腕輪が見い出されている*113

図19 縄文時代の骨角器
角鏃・骨箆・釣針未製品ほか…
天間林村・二ツ森貝塚(前期)
(天間林村教育委員会保管)


骨鋸・骨製簎…名川町・虚空蔵貝塚(晩期)
(名久井農業高校蔵)


骨鋸・骨箆ほか…天間林村・二ツ森貝塚(前期)
(左上2点及び右、天間林村教育委員会保管)


エイ尾棘利用簎・骨針…二ツ森貝塚(前期)


骨針…木造町・亀ヶ岡遺跡(晩期)
(木造町縄文館蔵)


釣針…木造町・亀ヶ岡遺跡(晩期)
(木造町縄文館蔵)


骨製銛・垂飾品・針・青竜刀型骨製品…
天間林村・二ツ森貝塚(中期)
(天間林村教育委員会蔵)