縄文時代は、日本列島における植物栽培起源の問題に関して、従来考えられていた常識をはるかに越える幾つかの事実を提示した。それは鳥浜貝塚で発見された、リョクトウ(緑豆)とヒョウタン(瓢箪)などである*119。前者は、松本豪によるとインドで栽培が始まり、中国を経て我が国へもたらされたと言われ*120、後者は、中尾佐助の説を引用するとアフリカ産とアジア産があり、未熟果は食用にもなるらしい。我が国のカンピョウ(干瓢)も、ヒョウタンの一品種であるという*121。ヒョウタンは、硬い皮を容器として利用することもできる極めて効率の高い植物と言えよう。
栽培植物であるリョクトウとヒョウタンが縄文時代前期に存在したということは、そのような古い時代に栽培を行っていた証拠になるであろう。植物を栽培するという技術を縄文時代前期に会得し、時代を経るにしたがって進展させていた可能性もある。昭和46(1971年)9月に、京都の平安博物館が実施した三戸郡田子町石亀遺跡の第3次調査で採取されたソバ花粉の存在は、縄文時代晩期前葉の大洞BないしBC式土器期に、本県でも栽培されていたことを物語っている*122。発掘調査を行う場合に、土層のフローテーション処理ないしは花粉分析等を実施すれば、植物の栽培について新しい発見がある可能性も高い。