(2)県内遺跡の出土工芸品

137 ~ 138 / 649ページ
 本県でも、縄文時代前期中葉の円筒下層a並びにb式土器期に、鳥浜貝塚と同様ないしはそれを凌駕する木製品(漆塗り高杯・漆塗り深鉢)をはじめ、編物・紐(組紐もある)・結び目を有する紐・縄などが製作・使用されており、それらの遺物が出土している*132。なお、編物に関しては古くから関心が持たれ、縄文土器の底面に見られる網代痕(あじろこん)について、人類学会創設者であり遮光器土偶という用語の考案者でもあった坪井正五郎が研究して53種を考え出し、ほかに竹細工のように材質の硬いものを用いた例として37種、アンペラのような柔らかいものの例では16種になるであろうという考えを示している*133。しかし、53種にものぼる編みは、残念ながら図示が無く、中谷治宇二郎が18種の網代編み模式図を考案提示した*134。網代編みについては、小林行雄・植松なおみの論考がある*135。編物をはじめ木製品製作の技術は、その後も時代の推移とともに継承され、本県では縄文時代晩期に至ると、その存在を証明する遺物が泥炭層並びに低湿地遺跡から出土している。木造町の亀ヶ岡遺跡と八戸市の是川中居遺跡が、それらに関する代表的な遺跡として知られている。亀ヶ岡遺跡では、昭和25(1950年)の慶応大学による調査で、箆状木器・棒状品や加工の施された木製品のほかに、漆を塗料に使用している籃胎(らんたい)漆器・櫛(くし)などが発見されている*136。また是川中居遺跡では、赤漆の塗られた木太刀型木製品(本来は真っ直ぐな棒状を呈した指揮杖あるいは儀杖的なものと考えられる)1本、赤漆塗りの製品として弓3張・高杯1個・櫛4枚分・釧(くしろ)(腕輪)4個分・耳飾3個等のほか、漆塗釧1個・樹皮製容器の破損品1個分・箆状木製品(二弦琴との説あり)18本などが見られ、編物として赤漆塗の籃胎漆器が2個分出土している*137。なお、この籃胎漆器について文化庁の保坂三郎は、〝竹籠に下地を厚く塗って目止めをし、その上に黒漆・赤漆を厚く塗ったものでヒゴ(籤)の編目が窺える〟と述べている*138。北津軽郡板柳町の土井1号遺跡(低湿地遺跡)出土の同種遺物も原材と作りは同様であるが*139、亀ヶ岡遺跡出土の縄文館並びにカルコ(縄文住居展示資料館)に展示されている同種遺物は、カヤまたはスゲの類を原材にしているように思われる。