このような編みの技法に対し、従来縄文時代には考案されていないと思われていた織物の存在を裏付ける資料が、南津軽郡平賀町の石郷遺跡から発見されている。当該遺物は、晩期の大洞C1式土器とともに出土した籃胎漆器の皮膜残欠であり、上下の長さ2.68cm、左右3.29cmを計るものと、これよりも小さな残欠とである。籃胎漆器のこのような小破片に、糸数が1cm2の中で経糸が24本、緯糸は22~24本を数えることができ、しかも糸は、経糸・緯糸とも1本ずつ交互に潜らせた平織的組織を有していた。現在これに似た織布を木綿の織布に求めると、晒(さらし)では1cm2の中における糸数は、経糸・緯糸とも18ないし19本、金巾(かなきん)(キャラコ)では27か28本であり、石郷遺跡の当該籃胎漆器は晒よりも糸目は細かく、金巾よりは粗い品であると言えよう。おそらく製品としては、籠ないし笊(ざる)の上に織布を張り、その上に赤漆を塗布したものであろう*142。織布の出現が縄文時代晩期中葉にまでさかのぼることの確証と、漆工芸に見られるような高度の技術の存在は、亀ヶ岡文化の内容のすばらしさを裏付けるとともに、縄文人の知恵とこの時代の卓越的な面を暗に物語っている。
図20 縄文時代の編物(籃胎漆器ほか)
籃胎漆器…
木造町・亀ヶ岡遺跡(晩期)
(木造町縄文館蔵)
丹漆塗腕輪…板柳町・土井1号遺跡(晩期)(青森県立郷土館保管)
編物(モジリ編み)…
青森市・三内丸山(Ⅱ)遺跡(前期)
(県埋蔵文化財調査センター提供)
籃胎漆器の編みの状態…板柳町・土井1号遺跡(晩期)
(青森県立郷土館保管)